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博士の先達に聞く

「知の冒険を恐れず自分だけのケミストリーをつくることが、 世界を動かす研究成果を引き出す」と語る京都大学大学院の丸岡特任教授。

Interview

丸岡先生が有機化学の最前線で取り組まれてきた研究内容をご紹介下さい。


簡素化丸岡触媒。
丸岡先生の開発した有機触媒は、多くの産業分野で応用されています。パーキンソン病の治療薬の開発においては、1時間以内という極めて短時間で反応を終える触媒を見出しています。

画像の引用元(丸岡研究室HP):https://www.pharm.kyoto-u.ac.jp/orgcat/research.html

私の専門は有機合成化学であり、中でも有機分子触媒の研究と開発に注力してきました。触媒は化学反応を促進させる物質であり、医薬品や食品、工業製品の原料の製造などには欠かせないものとして利用されてきました。その大半は、少し前までは金属元素を含む金属触媒でした。金属触媒は反応速度が速く、大量生産を効率的に行うのに適していたのが主な理由です。

しかし、その一方で、使用後の回収は難しく、廃棄する際には環境負荷が大きいことから、今の時代は環境調和型の有機触媒を開発することが触媒研究の主流になっています。世界の化学界が今世紀に入ってから環境にやさしく反応にも優れた合成化学である “グリーン・ケミストリー” を目指している中、その象徴とも言えるのが有機触媒の研究開発なのです。そして、金属触媒から有機触媒に移行する転換期をリードした研究者の一人が私でした。

実際に私が研究を進めて開発した有機触媒は、今では世界中で様々な産業分野に応用されています。例えば、現在進行中の例を一つ挙げれば、ベルギーの製薬メーカーであるヘルスケア社と共同で行っている、パーキンソン病の治療薬の開発があります。同社が開発中の治療薬の創薬プロセスには放射性フッ素が用いられるのですが、この材料の半減期は2時間弱しかありません。そのため、この間に合成を進められる極めて反応の速い触媒が必要だったのです。
そこで同社が目をつけたのが、私の開発した「簡素化丸岡触媒」でした。現在は、1時間以内に反応を終えられるよう、より活性の高い触媒の創製に成功しました。また、他にも環境調和型の触媒開発をさらに進化させ、より高度な分子設計や反応制御を目指し、生体内システムを有機合成に取り入れるという新たなテーマにも挑んでいます。

世界が注目する画期的な研究成果を残すためにはどのような姿勢が必要でしょうか。


約20年間の金属触媒の研究から、北海道大学でのゼロスタートを機に「自分だけのケミストリー」を追求され、誰もやったことのない領域に挑まれました。

私は京都大学工学部を卒業後、ハワイ大学でPh.D.を取得し、名古屋大学工学部助手〜助教授を経て、1995年に北海道大学の大学院理学研究科の教授に就任するまで、約20年にわたって金属触媒の研究を専門に行っていました。そこから有機触媒に研究テーマを大きくシフトしたのは、実はグリーン・ケミストリーの時代がやってくることを、確信的に予見していたからではありません。当時、産業界のニーズとして主流だった金属触媒ではなく、敢えて全く未開拓の分野に挑もうと考えて選んだのが有機触媒だったのです。

主な理由は二つ。一つは、北海道大学で研究室を主宰することになったのですが、その背景にあったのは大学院重点化のための研究室の新設であり、前任教授が残してくれる研究環境をまったく引き継げなかったのです。通例であれば、有望な研究成果はもちろん、実験設備や器具さえ受け継げるものですが、今回はそれが全くありませんでした。そこで私はこのゼロスタートを機に、私自身もまったく新しいテーマに挑むことにしたのです。

もう一つ、私をゼロスタートに奮い立たせたのは、当時交流があったアメリカの研究仲間たちが語っていた、アメリカにおける成功する研究者キャリアの話でした。向こうでは、アカデミアで自分の研究室を持つことができたら、それまでとは全く異なる研究を始めないと高い評価を得られず、研究費の獲得も難しいそうなのです。私はそれがアメリカを世界のサイエンスリーダー足らしめている核心的な事実だと感じ、私自身もそうすべきだと決心したのでした。

そこからは自分だけのケミストリーを追求し、独自のサイエンスを打ち立てる日々が始まりました。もっとも、最初から有機触媒のみにフォーカスしていたわけではありません。カルボニル基の二重活性化に関する研究などにも挑みましたが、なかなか成果は上がりませんでした。一方で、同時並行で進めていた有機触媒の研究は着実に進みました。後に世界的に評価される「キラル相間移動触媒」に関する論文も、早期に出すことができました。そして、私の取り組んだ有機触媒の研究成果が世界中のアカデミアに広がってから、世界各国からも有機触媒に関する研究が続々と報告されるようになったのです。

確かに未来に向けた課題解決を想定した研究テーマの選択は重要です。でも、それが他者を追随するような内容であれば、革新的とする評価を得るのは難しいでしょう。誰もがやったことのない領域に足を踏み入れるのは、いかに学問的な素養があったとしても冒険的と言えるかもしれません。でも、この知の冒険であるハイリスク・ハイリターンの研究姿勢を恐れていては、世界を動かすような研究成果は望めないのではないでしょうか。

研究に打ち込んだ博士人材にはどのようなキャリアが見えてきますか。


丸岡研究室のある京都大学薬学部。丸岡先生のラボでも多くの有能な研究者が研究に打ち込んでいます。

ハイリスク・ハイリターンの研究を奨励しましたが、リスクとは有用な研究成果が挙げられなかったことであり、研究の失敗が研究者のキャリアを貶めることには直結しません。研究者数も研究成果も膨大なアメリカでは、アカデミアで活躍する博士人材には、「研究」と「教育」の双方に、同等の価値があるものとして期待しています。研究論文の中身が評価される一方で、どれだけ多くの有能な後進を育成したか、あるいはどれだけ中身のある講義を行ってきたかといった観点から、教育に軸足を置いて得た功績にも教授として高い評価が得られるのです。

日本でもアメリカほどではないのかもしれませんが、研究者が指導する価値については認められています。私の恩師であり、ノーベル化学賞を受賞した野依良治先生の恩師でもある野崎 一(のざき ひとし)先生が、「私はノーベル賞を受賞する研究者を育てた研究者だ」と誇りを持っておっしゃっていたように、有能な後進を育成した実績は研究者のキャリアを充実させるのです。
アカデミア全体で考えると優れた研究成果を出した研究者はアカデミアの牽引役であり、その研究者を成功に向けて指導した人もアカデミアには不可欠な存在だと言えるでしょう。

博士人材が羽ばたくための行政や産業界への提言をお聞かせ下さい。


2025年7月に名古屋大学 野依記念物質科学研究館で開催された、「第11回 野依フォーラム若手育成塾」。丸岡先生が主催され、全国から産業界を目指す博士人材と研究開発型の企業が集まり、野依先生の講義や参加者による英語での研究発表などが行われました。

私が北海道大学に転任した1995年頃、当時は日本の産業界もアカデミアも堅調な成⻑を見せていましたが、その頃から中国人の研究者たちが台頭しつつありました。彼らの研究姿勢は例外なくハングリーであり、このまま10数年も経てばグローバルな競争で日本は後塵を拝するようになってしまうという危機感を覚えたのです。そこで様々な財団にかけあったものの、なかなか支援してくれる財団が現れず、最終的にはMSD財団が支援してくれることになり、2010年にやっと「⼤津会議」を創設することができました。さらに2015年には野依先⽣が率いる「野依フォーラム」内に「若手育成塾」を⽴ち上げています。いずれも日本の有機化学に関するイノベーション創出支援を主目的とする有志討論会です。その中で、大津会議はアカデミアでグローバルに活躍出来る若手の高度博士人材の育成に主眼を置き、野依フォーラム若手育成塾では産業界でグローバルな研究リーダーとなる若手の高度博士人材の育成を図っています。

以上の活動を通して、これまでに数多くの優秀な高度博⼠⼈材を世に送り出すことができました。それでも日本の化学界は以前よりも世界で眩しい輝きを放つほどには至っておりません。それには躍進する海外諸国に比べて研究費の支援が薄いことから、スケールの大きな研究になかなか踏み出せないのが理由の一つになっています。私は国内で表彰された際や日本化学会の会合等では、科学振興を管轄する政府の要人の方々とお会いする度に、科研費(科学研究費助成事業)の増額を強く要望しています。

産業界に対しては、各企業の個別の研究や自社の個別テーマだけに研究者を閉じ込めるのではなく、もっとオープンな交流環境をつくって欲しいと考えています。私は「野依フォーラム」で、企業の研究所⻑クラスの方々に、外部やアカデミアの若手の研究者が報告会等に同席する機会を設けて欲しいと訴えていますが、機密上の理由から難しいとの返答が多いのです。企業が目指すビジョンを若手研究者が共有することで、日本における研究成果は飛躍的に向上するはずです。実際、アカデミアの若手博士人材を対象とした大津会議ではタテ・ヨコの人脈の広がりは大きく、出席した研究者同士の交流は活発ですが、野依フォーラム若手育成塾の卒業生は企業に入った後の企業間の壁が高く、交流が途絶えがちです。研究者が自由に挑戦出来る環境づくりを、是非進めて頂きたいです。

※大津会議:日本の有機合成化学分野の将来を担う、若手研究者を養成するための選抜型の学術会議。

※「第11回 野依フォーラム若手育成塾」の様子はこちら

博士・ポスドクへの応援メッセージをお願いします。


広い池で育った金魚が大きく成長するように、研究者にはグローバルに視野を広げ、広い環境で大きく成長をしてほしい。

私は大津会議の冒頭で、若手博士人材に体⻑40cmほどの金魚の写真を見せます。それは、中国の広い池で育てられた金魚です。同じ種類の金魚を、日本では金魚鉢で育てますが、そこでは数cmで成長が止まります。観賞用だからそれでも構わないのですが、研究者には広い環境で育つことで、大きく成長して頂きたいという思いを込めて、その写真を見せているのです。博士人材には、グローバルに視野を広げ、多くの研究者たちと交流を持ち、世界を舞台に活躍して欲しい。それが結果的に日本の科学技術や産業界の振興に大きく寄与することになるはずです。

「自分だけのケミストリーを」は、化学分野の博士人材だけが対象ではありません。ケミストリーとは化学を指しますが、化学反応という広めの意味もあります。どの学術分野の博士人材の方であっても、広い世界で多くの人と刺激し合うことで、自らを大きく進化させる独自の環境を大胆に築き上げて頂きたい、そう考えています。

※この記事の所属・役職・学年等は取材当時のものです。