博士の先達に聞く
博士人材の望ましいキャリア形成を考え産業界とのマッチングを図る、C-ENGINE代表理事を兼務する國府京都大学副学長。
-
学部の卒業⽣だけでも8名がノーベル賞を受賞している京都⼤学。そんな、世界的に評価される数多くの研究者のインキュベーターとなっている同⼤学であっても、すべての博⼠⼈材が望んだキャリアを歩んでいるわけではないそうです。アカデミアに残りたいと希望する博⼠人材が⼀定数存在する中で、そもそもアカデミアが必要とする研究者や教員の数と、博⼠後期課程の学⽣・ポストドクター(ポスドク)の数が折り合っていない。そして産業界で研究を続けたい、あるいは専⾨を活かした仕事に就きたいと考える学⽣が、望ましいキャリアに巡り合いにくいという問題が横たわっています。専⾨分野によっても望ましい就職のしやすさに濃淡が存在します。そうした中、京都⼤学では博⼠⼈材に対するキャリア⽀援として、様々な取り組みを⾏っています。そこで、京都⼤学理学共創イノベーションコンソーシアムを構想し、現在は⼀般社団法⼈ 産学協働イノベーション⼈材育成協議会(C-ENGINE)で代表理事を務める、京都⼤学副学⻑の國府寛司先⽣に、これまでの取り組みについてお話をお聞きしました。
―――ノーベル賞受賞者(カッコ内は京都大学との関係)―――
・物理学賞
1949年 湯川 秀樹先生(京大卒)
『中間子理論』
1965年 朝永 振一郎先生(京大卒)
『量子電磁力学の分野における基礎的研究』
2008年 小林 誠先生(元京大理学部助手)・益川 敏英先生(京大名誉教授)
『クォークが自然界に少なくとも三世代以上ある事を予言する、対称性の破れの起源の発見』
2014年 赤崎 勇先生(京大卒)
『明るく省エネルギーな白色光を可能にした効率的な青色発光ダイオードの発明』
・化学賞
1981年 福井 謙一先生(京大卒)
『化学反応過程の理論的研究』
2001年 野依 良治先生(京大卒)
『キラル触媒による不斉水素化反応の研究』
2019年 吉野 彰先生(京大卒)
『リチウムイオン電池の開発』
・生理学・医学賞
1987年 利根川 進先生(京大卒)
『多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明』
2012年 山中 伸弥先生(京都大学iPS細胞研究所 教授・名誉所長)
『成熟細胞が初期化され多能性を獲得し得ることの発見』
2018年 本庶 佑先生(京大卒)
『免疫抑制の阻害によるがん治療法の発見』
―――フィールズ賞受賞者(カッコ内は京都大学との関係)―――
1990年 森 重文先生(京大卒)
『3次元代数多様体の極小モデルの存在証明』
1970年 広中 平祐先生(京大卒)
『標数0の体の上の代数多様体における特異点の解消』
(掲載開始日:2024年4月22日)
京都大学がノーベル賞を始めとする多数の国際的評価を受けている背景を教えて下さい。
京都⼤学(以下、京⼤)出⾝者が多くノーベル賞やフィールズ賞を受賞している理由の⼀つに、創⽴以来125年の歴史の中で醸成されてきた⾃由な学⾵があると考えています。私⾃⾝も高校の頃に京⼤は⾃由だから……と聞いて志望を決めました。そして博⼠課程を経て、研究者・教員として今まで在籍してきましたが、大学全体が⾃律性や独⾃性を重んじ、学⽣にも教員にも⾃学⾃習の校⾵が息づいていることをいつの時代も感じてきました。 このような雰囲気の中で、何を専⾨にするか、どんな研究をしたいか、誰から学びたいのかといったような選択を学⽣は⾃由に⾏うことができます。そうした中から個性を活かした研究成果が⽣まれ、イノベーティブな価値創造へと繋がっているのでしょう。
博士人材のキャリア形成の現状をどうお考えですか。
最近まで、修⼠課程の学⽣が博⼠課程に進もうと考えた際に、その障害となる二つの問題があったと思います。それは京⼤に限ったことではなく国内の⼤学院全体に⾔えることですが、⼀つは経済的な困難です。つまり安心して研究に専念するための経済⽀援が近年までとても乏しかったのです。そのため、修⼠課程で研究を止めて就職を選択する学⽣が数多くいました。これまでも⽇本学術振興会が博⼠課程の学⽣に対して特別研究員制度を設け、月々の奨励金に加え研究費を⽀援していましたが、その対象者の数は⼗分ではありませんでした。しかし、近年は科学技術振興機構(JST)の科学技術イノベーション創出に向けた⼤学フェローシップ創設事業などによる博士課程学生への経済支援が始まりました。総合科学技術・イノベーション会議決定の研究⼒強化・若⼿研究者⽀援総合パッケージでは、修⼠課程からの進学者数の約5割に相当する博⼠後期課程の学⽣が⽣活費相当額程度を受給できることを⽬指すとされています。さらに京⼤でも独⾃に⽣活⽀援⾦を給付する制度を設けており、⼗分な受給者数ではないにしても博⼠課程に進む多くの学⽣の経済的負担が軽減しました。
もう⼀つの困難は博士の学位取得後のキャリアパスの問題で、特に、産業界の博⼠⼈材の受け⼊れ体制がまだまだ準備不⾜であることです。こちらは改善するまで数多くの課題を乗り越えなければならないでしょう。1990年代から始まった「⼤学院重点化政策」により博⼠⼈材は急増しましたが、それまでキャリアの受け⽫だったアカデミアの研究者枠は変わらないままであり、一方で産業界の受け⼊れは追いついていません。化学系などのいくつかの分野では以前から産業界が博⼠⼈材の有用性をよく理解し、博士の学位取得者の採用が⽐較的進んでいますが、それ以外の分野ではまだまだ博士人材への⾨⼾が狭い状況が続いています。私が専門とする数学の分野について言えば、文科省の政策や取組みなどにおいては、数学が様々な社会的課題の解決に有用であるとの認識から、数学の産業界への貢献が期待され始めていますが、大学の教員にも産業界にもまだその意識が十分に浸透しているとは思われません。さらに、⽂系の博⼠⼈材についても現代社会の様々な課題の解決への貢献が期待されているにもかかわらず、現状ではアカデミアに残るという選択以外に、博士の学位取得後の活躍の可能性は限られているようです。
國府先生が博士人材のキャリア支援を行おうと考えた経緯をお話し下さい。
それは私が研究者としてのキャリアを歩む中で、博⼠課程学生の教育についての様々な課題を意識するようになり、⾃然に博士人材のキャリアパスについても考え始めたという⾯が⼤きいです。私の専門は時々刻々と変化するシステムのダイナミクスを数学的に捉える⼒学系理論です。力学系理論自体は数学の内在的な問題を掘り下げる純粋な数学研究なのですが、時間と共に変化するシステムは自然科学や工学など様々な分野に見られるため、数学以外の分野の研究者と出会う機会も多くありました。また、私の指導教授の⼭⼝昌哉先⽣は日本応⽤数理学会の創設に関わるなど、日本の応用数学分野の発展を牽引された方であり、数学の外の分野にも広い興味を持って様々な分野の研究者との研究交流を活発に進めておられました。そのような山口先生とその周辺の研究者からも強い刺激を受け、私自身も物理や工学、⽣物学などの研究者と繋がりを持つようになりました。
このような様々な研究分野との交流の経験は、JSTが2006年から始めた諸科学との連携による数学・数理科学の研究振興事業において、とても助けになりました。私自身はJSTにはチーム型研究CRESTの代表者として、またさきがけ領域の研究総括として、この事業に関わりました。特にさきがけ領域は若⼿の数学研究者が社会課題の解決に向かう研究への⽀援を⾏いましたが、そのような中でさきがけ領域に限らず、日本の若手数学者やそれを目指す大学院生の置かれている状況にも自然と関心が向くようになりました。国が数学の研究成果の科学技術イノベーションへの貢献を強く期待しているにもかかわらず、世界と比べて我が国の数学分野の若手研究者のキャリアパスがほぼアカデミアに限られているため将来への不安が強く、優れた若手研究者・学生に安心して数学の研究に没頭することを阻む状況があると感じるようになりました。それを打開するためには、産業界にもっと博士人材が受け入れられ、大学と産業界との人材の循環が活発になり、それによって研究者としてのキャリアパスが拡大することが最も重要ではないかと考えました。
國府先生の博士人材のキャリア支援の具体的な施策をご紹介下さい。
上のようなことは数学分野だけではありません。私が所属する京⼤理学研究科でも、多くの研究分野で将来への不安から博士課程に進学せず、修士課程修了後に企業などに就職する学生が多く、優れた博士学生の確保は喫緊の課題として認識されていました。その解決のため、私は理学研究科⻑の時に、理学系の博⼠⼈材が産業界で活躍できる道を開きたいと考えて、「京都⼤学理学共創イノベーションコンソーシアム」の構想に着手しました。これは京⼤理学研究科の博⼠⼈材と企業の研究開発部⾨の研究交流を核として、博⼠課程学生による最先端研究の紹介や、企業での研究開発の説明会、またサイエンス講座や出張講演などによる産学の連携の機会の拡充を進めるというもので、私の研究科長の任期中にはできませんでしたが、後任の研究科長に引き継がれ、錚々たる顔ぶれの企業にご協⼒頂いて、2023年秋に設立できました。
昨年春からは本学の理事に就任し、産学協働イノベーション⼈材育成協議会(C-ENGINE)の代表理事も務めることになりました。C-ENGINE は、理系の博⼠⼈材に限らず、あらゆる研究領域の博⼠⼈材を対象とする研究インターンシップを展開する諸活動を行っており、これまでに多くの実績を得て、昨年秋には10周年記念のシンポジウムも開催しました。C-ENGINEでは中⻑期インターンシップの機会を提供してもらえる会員企業の数も多く、また昨年はカナダの Mitacs という産学連携機関との協定も締結できており、さらにスケールアップした博⼠⼈材のキャリア⽀援を進めたいと考えています。
國府先生が考える、C-ENGINEがこれから成果を出すポイントは何ですか。
まずは、学⽣側の想いと企業側の思惑の不⼀致を解消することだと考えています。例えば、学⽣が⾃らの研究を活かした研究インターンシップに参加したいとすると、自分の研究内容と外れるテーマのインターンシップはしたくないと思いがちです。⼀⽅で企業側は、⾃社の製品分野への成果に直結しやすいテーマを設定して募集したいと考えると、そこに齟齬が出やすいのです。学生の方は自分の研究テーマにあまり強くこだわらず、また企業側も、ポテンシャルの⾼い博⼠⼈材に、もっとフレキシブルに接してみようというスタンスであると、双⽅が接点を⾒出せて、素晴らしい研究に発展する可能性が大きくなると思います。 このような良いマッチングを増やすためには、コーディネーターの役割が極めて重要になると⾔えるでしょう。コーディネーターの適切なマッチングや調整を通して博⼠⼈材と企業の相互理解が深まることで、インターンシップがスムーズに行われ、産学連携のますますの促進にもつながると考えられます。その意味で、これからの研究インターンシップの発展には、優れたコーディネーターの育成が必要です。また、指導教員の協⼒も不可⽋です。指導学生の研究の進展を重視するあまり、学生がインターンシップを行うことに消極的な指導教員も少なくありません。もちろん学生の学位研究は大切ですが、一方で指導する学生が修了後に社会に出て活躍する可能性を広げるための研究インターンシップの重要性も教員に認識して頂き、学生と教員のどちらにも納得できる形で研究インターンシップを広げていくことも、大きな課題です。
國府先生はどのような学生時代をお過ごしになられましたか。
私は数学をやりたくて京⼤に進学しましたが、⼊学して得られた勉学の環境は期待以上のものでした。講義や演習などで個性豊かな先生方の授業を受け、授業の内容だけでなく、数学とそれを創造する数学者の魅力をいろいろな角度から体感できました。また、京⼤理学部では伝統的に⾃主ゼミをたくさんやっていますが、私も例外ではなく友⼈たちと数学のいろいろな⾃主ゼミに参加し、優秀な同級生や先輩・後輩からたくさんの刺激を受けました。私自身の学問的な成長の最初の一歩はそのような自主ゼミで培われたと思います。
こうして数学を学ぶうちに徐々に⼤学院に進もうと思うようになりました。当時は産業界で数学の研究をすることなどは考えられない時代でしたので、卒業したら高校の教員になろうと数学の教員免許も取得しましたが、⼤学院に入学でき、修士論文もなんとか書けた頃から、研究者という可能性を考えられるようになり,現在に⾄るキャリアへと繋がりました。
その⼀⽅で、たまたま練習を⾒に⾏った男声合唱サークルのグリークラブに入団し、演奏会や合宿などの活動を修⼠1年まで続けました。卒業後もOB会に参加してアメリカでハーバード大学のグリークラブOB会との合同演奏会に出るなど、細々ながら機会があれば参加しており、数学研究とは違った楽しみに接することができました。
博士・ポスドクへの応援メッセージをお願いします。
現代社会は急速に変わりつつあります。生成AIに代表される新たな技術が生まれ,また世界各地の紛争などの難しい課題が次々と起きています。このような社会では、大学で習得した学問だけを頼りにしては人生を送ることは到底無理であり、これからの若者は一生の間に何度も新しい知識や技術などを学び直すことが必要となると思います。
その中において、博士人材の重要性はますます高まっていくでしょう。自ら新たな知を開拓する能力を身につけた博士修了者は、これからの社会を先導するために不可欠の人材として、その活躍の場を広げる取り組みが随所に見られるようになっています。修⼠課程の⽅は将来に希望を持ってぜひ博⼠課程に進んでほしいですし、博⼠課程やポスドクの⽅には、これからのキャリアにおいて、これまでの研究で身につけた課題解決⼒を活かして活躍して頂きたいと思います。
また、これからは博⼠⼈材の循環も活発になると考えています。修⼠課程の修了者が、企業に就職して研究開発を行う中で、より深い学問を身につけることが必要になり、大学に戻って博⼠号を取得するようなキャリアデザインも増えていくでしょう。さらに博士の学位取得者が企業と大学を行き来するようなキャリアパスもこれまで以上に増えていくことと思います。実際、私の専門分野の数学でも、以前から応用数学の分野では時々ありましたが、純粋数学の研究でも、博士学位を取得した後に⼤⼿企業に就職し、そこでも純粋数学の研究を行って成果を上げ、それが評価されて大学の教員として採用され転職するという事例も出てきています。皆さんの博士人材としての活躍の場は、今後ますます、皆さんの想像を超えて⼤きく広がっていくことでしょう。
本日はお忙しい中、長時間に亘りご協力頂き、ありがとうございました。
一般社団法人 産学協働イノベーション人材育成協議会
活動内容 | イノベーションを創出する力を有する高度理系人材の輩出を目指す、多対多の大学と企業における連携活動 ・修士/博士学生の研究インターンシップ推進 ・産学連携企画運営 ・オンライン人材交流システムの運営 |
---|---|
会員大学 | 東北大学、筑波大学、東京大学、東京工業大学、東京理科大学、お茶の水女子大学、東京都立大学、東京外国語大学、金沢工業大学、滋賀大学、京都大学、大阪大学、大阪公立大学、神戸大学、奈良先端科学技術大学院大学、奈良女子大学、和歌山大学、岡山大学、九州大学、鹿児島大学 (2024年4月現在) |
会員企業 | 川崎重工業株式会社、キヤノンメディカルシステムズ株式会社、京セラ株式会社、コニカミノルタ株式会社、株式会社JSOL、塩野義製薬株式会社、シスメックス株式会社、株式会社島津製作所、株式会社SCREENホールディングス、住友電気工業株式会社、ダイキン工業株式会社、株式会社ダイセル、大日本印刷株式会社、株式会社竹中工務店、株式会社タダノ、一般財団法人電力中央研究所、東レ株式会社、TOPPANホールディングス株式会社、日東電工株式会社、日本ゼオン株式会社、日本ベーリンガーインゲルハイム株式会社、パナソニックグループ、株式会社日立製作所、BIPROGY株式会社、株式会社プロテリアル、三菱重工業株式会社、三菱電機株式会社、株式会社村田製作所、株式会社リコー、ロート製薬株式会社 (2024年4月現在) |