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博士人材のインターンシップを推進する一般社団法人「産学協働イノベーション人材育成協議会(C-ENGINE)」(会長=國府寛司・京都大学理事・副学長)が10月31日(金)、京都市の京都大学でシンポジウムを開きました。協議会は、経済産業省の中長期研究インターンシップ検討会をきっかけに、国内の大学と大手メーカーが中心となって2014年に発足。博士後期の学生が企業の研究開発現場を体験する研究インターンシップを、これまで750件以上実施しています。
今年のシンポジウムは、「イノベーションは心を豊かにできるか―日本文化という視点で考える」と題し、参加学生の報告と研究者の講演が行われました。専攻の研究分野から視野を広げ、社会で活躍する人材になるには何が必要か。議論を深めたシンポジウムの様子を伝えます。
C-ENGINE研究インターンシップ参加学生 体験報告(2名)
「企業でもやれるイメージが持てた」と話す疋田純也さん
「キャリアを考えるきっかけになった」と語る竹内陽香さん
C-ENGINEには、東京大や大阪大、東北大、九州大などの23大学と、日立製作所や川崎重工業、住友電工、パナソニック ホールディングス、東レなどの24企業が加盟。産業界での博士人材の活躍を促進するため、大学と企業で連携して「研究インターンシップ」に取り組んでいます。興味のある学生と企業をオンラインでマッチングさせる仕組みをつくり、オフラインでも大学に配置されたコーディネーターが仲介しています。
シンポジウムではインターンシップに参加した2人の学生が登壇し、企業での就労体験を発表しました。
疋田 純也さん(京都大学大学院 理学研究科 物理学・宇宙物理学専攻 博士後期課程2年)
=三菱電機で1カ月間、就労体験
疋田さんは京都大学で素粒子のニュートリノの性質解明と検出装置の開発に取り組んでいます。研究がうまく進まない時期が1年間続き、「自分の研究力は向上しているのか」「他分野でも通用するのか。仮に民間企業に就職する場合、うまくやっていけるのか」と進路に不安を抱いたのが、インターンシップ参加のきっかけといいます。「専攻と全く違う分野でやってみたい」と体験先に三菱電機を選びました。
三菱電機では、金属3Dプリンターに搭載する音響センサーの開発業務を任されました。プリンターに異常が起きた際に音響センサーでどう検知すればいいか。「社内で人材が足りずに研究が進んでいない。自由に進めてほしい」と部門社員に言われ、「成功が確約されていない分、楽しんで研究に打ち込めた」と振り返ります。
異常時に得られる信号の解析に1カ月間集中し、「やれることは全てやり、大学とは全く異なる研究で成果を出せた。力が上がっていることが実感でき、自信につながった」と手応えを話しました。「データを取って、解析して、ブラッシュアップする、という点は大学の研究も企業も変わらない。唯一違うのは、企業だとしっかり時間を決めて働くので、健康的な生活を送れるところ」と笑い、「企業でもやっていけるという具体的なイメージが持てた。今後は専門分野にとらわれず、さまざまな知識を取り入れて、自分の研究に応用できる研究者を目指したい」と力を込めました。
竹内 陽香さん(奈良女子大学大学院 人間文化総合科学研究科 自然科学専攻 博士後期課程3年)
=ダイキン工業で1カ月半、就労体験
竹内さんは、奈良女子大学で位相幾何学(トポロジー)を専攻し、幾何構造を調べるための計算機プログラミングによる実験などに励んでいます。「普段数学を研究していると、成果と『社会還元』が結び付けづらい」と話し、「自分の研究を活かして新しい価値観を生み出すような体験がしたい」とインターンシップに申し込みました。
ダイキン工業では、エアコンの心臓部に当たる熱交換器の開発を担当。熱交換量を最適化するためのアルゴリズムの考察に取り組みました。伝熱管で構成される熱交換器の設計を評価し、効率性の観点で提案も行ったといい、「社会で活躍するには、人との対話力が必須だと再認識した。抽象的な課題に向かうには、課題設定力が必要で、そこは研究経験が活かせると思った」と報告。「自己実現と社会貢献の両立を図るのは、難しいけど面白いと感じた。どういう働き方が合っているか、キャリアプランを考えることができた」とインターンシップの意義を語りました。
2人の報告の後、三菱電機の技術者が「自分たちも深い知見のない新しい研究だったのに、自ら情報を収集して新しいアイデアを出してくれた。成果を引き継いで開発を進めている」、ダイキン工業の担当者が「専門性の高さだけでなく、分からないことをどこまでも追及する探究心が素晴らしかった」と評価を述べました。
基調講演 「イノベーションと文化の溝」
ユニークな研究姿勢について語った国際日本文化研究センター所長の井上章一氏
講演後、会場では質疑応答が行われた。文理の垣根を越えて活発に意見が交わされた。
講演者:国際日本文化研究センター所長
井上 章一 氏
基調講演は、国際日本文化研究センター所長の井上章一氏を招いて行われました。
井上氏は、京都大学工学部建築学科と同大学院修士課程で建築史・意匠論を学び、京都大学助手を経て、同研究センターで活動。研究対象は、建築史にとどまらず、風俗史や文化の形成過程に及び、数々の著書を刊行して、サントリー学芸賞などの受賞を重ねています。
講演では、人々の価値観の変遷や文化の相違に着目して社会を再考するユニークな研究姿勢を語りました。
<講演要旨>
私はいまだにパソコンを持っていない。スマートフォンも所持していない。原稿は全て手書き。そんな私にイノベーションについての講演というのは的外れなキャスティングじゃないかと思うが、お声をかけていただいた限りは、できる範囲でお答えしようと思います。
若い研究者に「いくら検索しても出てこない情報を井上さんは拾っている。どうやって集めているのか」と言われました。デジタルで見落としたものを私は肉眼で拾っている可能性があります。
「パンツが見える。羞恥心の現代史」という本を書きました。スカートがめくれてパンツが見えることを、女性は恥ずかしく、男性はラッキーと思う。この価値観はいつごろ、どうしてできたのか、という歴史研究に挑み、20世紀半に大きな変化があったことを突き止めました。
きっかけは、工場労働者を描いた小林多喜二の短編小説の一場面でした。寄宿舎の階段で男子が女子の股間をのぞこうとしてがっくりする。なぜならパンツをはいていたから。小林多喜二のいた1930年前後は、パンツが見えてうれしいという感受性は生まれていなかったに違いないと思いました
そして1980年代に上海へ行きました。当時の上海は自転車やバイクの通勤通学が多く、女性たちはスカートがチェーンに巻き込まれないよう、スカートをたくし上げて自転車をこいでいました。
私は震撼し、男たちに聞くと、「パンツをはいているから大丈夫だ」と。小林多喜二の小説が走馬灯のようによぎりました。なぜ私はパンツごときでうろたえるのか。このひ弱な精神に落とし込んだものはなんだと考えました。
研究に取り組んでいると、何人かの人に「性欲の問題だ」「本能の問題だ」と言われましたが、そうではない。パンツが見えて恥ずかしい、うれしいというのは、たかだか100年未満の歴史しかない、ある種の文化状況で成立した現象です。間違いなく歴史研究のテーマでした。
いま手掛けている研究テーマに、靴の問題があります。2004年にブラジルのリオデジャネイロ州立大学で講師を務めていたとき、道で転んで病院に担ぎ込まれた時のことです。診察室でベッドに寝るのに靴を脱ぐと、医者に「靴を脱ぐな。そんなところに置かれると目障りだ」と言われました。日本の医者だと脱がないと絶対に怒り出します。靴をはいたまま、かかとを上げて寝ていましたが、耐えられず降ろしてしまいました。
「文化的な多様性を受け入れよう」「ダイバーシティが大事だ」と言われる昨今でも、日本で畳の上を靴で歩かれたら「勘弁してくれよ」と思いますよね。畳のある家や鴨居、敷居のある家は少なくなってきたのに、家の中では靴を脱ぐ。ひょっとしたら日本文化の最後の防衛ラインはこのあたりにあるんじゃないか。
これを教えてくれたのがブラジルでした。先ほどのパンツの話も、小説で読んでいましたが、いざ上海で目にしたことで、「これは研究に値する」という衝撃を受けました。
人文学は文化の溝が発想の源泉になることがあります。皆さんも異業種交流をすると思いますが、結局似たような人と交流してしまうことがあります。たまには思い切り自分と離れた人と会うと、「えーっ」という発見があるかもしれません。
日本ではパスタ料理として、たらこスパゲティを違和感なく食べます。イタリア人から見るとゲテモノです。逆に海外には日本人が仰天する日本料理があります。ただ、現在食べられている豆腐ステーキは1970年代にニューヨークの料理人が開発したものです。豆腐には豆腐ならではの食べ方がある、という価値感はニューヨークにはなく、当時の日本人から見たらとんでもないものでした。でも滞在中の日本の商社マンが「いけるやないか」と好きになり、日本へ凱旋帰国しました。文化のはざまは、よくそういう現象を生みます。
この価値観のギャップが生む創造力に、グローバル時代のイノベーションはあると思っています。ただ、異文化を寛容に受け入れる私でさえ、畳の上を靴で歩かれるのは抵抗があります。どう位置付けたらいいのか、ということをいま思いあぐねているところです。
おわりに
C-ENGINEの活動を報告する國府寛司会長
シンポジウムでは、C-ENGINE会長の國府寛司・京都大学理事・副学長が「インターンシップは、学生にとってトランスファラブルスキル(汎用的な能力)を身に付け、研究力を向上させる機会。関係各位の協力のおかげで実施企業は増えており、就活の一環としても重要になっている」と意義を述べました。
C-ENGINEは、インターンシップの目的として「トランスファラブルスキル」の習得を提唱しています。研究で培ってきた知見や専門力を他分野・他職種でも応用できる能力を指し、技術革新と産業構造の転換が激しい現代において求められる力だといいます。
経済産業省と文部科学省は2024年に「博士人材の民間企業における活躍促進に向けた検討会」を新たに立ち上げ、博士人材の採用・活躍に向けたガイドブックの作成などに取り組んでいます。両省の担当者もシンポジウムで挨拶し、「国内外の多くの企業が基礎科学の段階から研究資金を投下し、事業化を加速させている。イノベーションには博士人材の力が重要だ」と強調しました。
地球規模の課題がさまざま生じ、企業の国際的な競争力も問われるグローバル社会において、高い専門性を持つ博士人材の存在価値は高まっています。大学、企業、省庁が連携を深め、博士人材の活躍を後押しする環境を整えています。