博士の先達に聞く
スーパーコンピュータの研究・開発・活用で、科学の最先端を開拓する 理化学研究所 計算科学研究センター長・松岡聡氏が語る、博士人材の世界的価値と未来。
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日本における博士キャリアの最高峰の一つとされる、国立研究開発法人理化学研究所の研究職。今も多くの優秀な計算科学に関わる研究者が、アカデミアや企業の研究所でのキャリアを経て入所されています。ノーベル賞など国際的な科学技術アワードを受賞した研究者が、この研究機関に所属したり共同研究で関わるケースも少なくありません。2025年にノーベル賞を受賞された坂口志文(さかぐちしもん)博士、北川進(きたがわすすむ)博士のお二人も、以前に大学教授を兼務しつつ理化学研究所にて研究チームのリーダーを務められていました。また、理化学研究所第16代理事長には、2001年ノーベル化学賞を受賞された野依良治(のよりりょうじ)博士が就任されています。 こうした世界的な研究成果を数多く挙げている同研究所には、アカデミアや産業界の研究機関とは異なるどのような特徴があるのか。それを、世界のスーパーコンピュータシーンの先頭に立つ理化学研究所 計算科学研究センター長の松岡氏にお聞きするとともに、博士人材の理想のキャリアステップのロールモデルとして、松岡センター長が博士人材としてどのような過程を経て、スーパーコンピュータの世界的第一人者と目されるようになられたかについても伺いました。
<松岡センター長の主な受賞・顕彰>
●IEEE Best Paper Award, IEEE Visual Languages Symposium (1995年)
●情報処理学会論文賞(1996年)
●情報処理学会坂井記念賞(1999年)
●Computerworld Computing Honors Laureate (2002年)
●IEEE Supercomputing StorCloud Challenge " Most Innovative Use of Storage In Support of Science " Award (2005年)
●International Supercomputing Conference ISC 2008 Award (2008年)
●The HPC Wire People to Watch in 2010 (2010年)
●ACM Gordon Bell賞(2011年,2021年)
●文部科学省 文部科学大臣表彰 科学技術賞(開発部門)(2012年)
●Sidney Fernbach Award (2014年)
●ACM HPDC 2018 Achievement Award(2018年)
●SC Asia 2019 Asia HPC Leadership Award (2019年)
●紫綬褒章 (2022年)
●Seymour Cray Computer Science and Engineering Award, Seymour Cray Award) (2022年)
●NEC C&C 財団C&C賞 (2022年)
●HPCwire 35 Legends(2024年)
●The Public Service Medal(The Singapore National Day Awards)(2025年)
(掲載開始日:2026年2月27日)
計算科学研究センターでは現在どのような課題に取り組んでおられるのでしょうか。
理化学研究所 計算科学研究センター(以下、R-CCS)には、2021年から稼働しており現在も様々な性能指標で世界トップクラスのスーパーコンピュータである「富岳」が設置されています。約16万個のCPUを並列搭載するこの「富岳」は、以前にR-CCSに設置されていた「京」の約100倍の処理能力を持つ後継機であり、R-CCSと富士通が共同で開発しました。ユーザー層は、外部の研究・開発機関に広がっており、気象予測や素材開発、宇宙物理計算などのシミュレーションに活用されています。新型コロナウイルスの感染拡大期には飛沫の飛散シミュレーションを可視化し、マスクの有用性や集団感染防止に向けて「三密」(密集・密接・密閉)を避ける意義を証明し、感染拡大を防ぐことに貢献したことでも知られています。
ただ、私たちは単に世界最高クラスのスーパーコンピュータを開発し、運用するだけの存在ではありません。まずは何よりも、計算技術をどのように高めれば、社会課題の解決に繋がる科学領域の研究に貢献できるのかといった、実社会に役立つ高度な計算そのものを研究対象としています。そして、その計算技術をさらに高めるための科学である量子技術やAIなども研究対象としています。
例えば今の私たちが特に注力しているのは、AIの進化に「富岳」をはじめとする大型計算機が貢献していくこと、それとともにAI関連技術を次世代スーパーコンピュータに導入する取り組みです。実際、当研究所では、「富岳」と連携しシミュレーションとAIとが密に連携して処理を行うための、科学研究用に最適化した「AI for Science開発用スーパーコンピュータのシステム」を整備中です。また、「富岳」の後継となる「富岳NEXT(仮称)」の開発研究もすでに始めています。
計算科学研究センターのグローバルな活動をご紹介下さい。
SupercomputingAsia(SCA)とThe International Conference on High Performance Computing in Asia-Pacific Region(HPC Asia)は、2026年1月26日、大阪にて、ハイパフォーマンスコンピューティング(HPC)に関する国際会議及びイベントを日本で初めて合同で開催をしました。松岡センター長は実行委員長を務められました。
スーパーコンピュータの進化を牽引しているのは米国ですが、この分野において日本という国家を背負っていると言っても過言ではない我々R-CCSも、技術の進展を促す数々の重要な役割を担ってきました。また、世界中のスーパーコンピュータの演算処理性能の順位が取り上げられることが多いことから、単独での競争を繰り広げているかのように見えるかもしれませんが、そのようなことはありません。事実、R-CCSは米国の様々なハイパフォーマンス・コンピューティングに関する研究開発機関と密に連携を図っています。例えば、アメリカのエネルギー省の傘下の国立研究所は、アルゴンヌ国立研、オークリッジ国立研、ローレンスリバモア国立研など、それぞれ世界をリードするスパコン研究センターを擁しますが、それぞれとは文科省-DOEのスパコンに関する連携協定の元、多くの共同研究を行っています。同様の連携は欧州のスパコン研究センターとも行っています。
ハイパフォーマンス・コンピューティングに関する代表的な国際会議である、Supercomputing Conference(SC)や、International Supercomputing Conference(ISC)にも、毎回理化学研究所から100名近く参加しています。私もこうした国際会議で要職を拝命する他、数々のアワードも受賞してきました。
近年は理化学研究所の研究者たちの受賞も増え、2025年のSC25ではBest Paper Award、Best Reproducibility Advancement Award、Best Research Poster Awardという3つの主要な賞を受賞しました。
※2026年1月にSupercomputing Conference(SC)が日本で初めてHPCAsiaと合同開催されました。 案内はこちら。
松岡先生が計算科学と関わるきっかけから、現在までに至る経緯を教えて下さい。
私は東京大学理学部に入学後、大学院に進学して博士の学位を取得し、情報工学専攻講師を経て、1996年に東京工業大学(現東京科学大学)情報理工学研究科数理・計算科学専攻助教授に就任しました。
私はリアルタイムにゲームの画像を動かすためのハードウェアの高速化に興味を持ち、研究対象としての計算の奥の深さに目覚めていました。そしてそれを極めるエンジニアとして企業に就職するつもりでした。一方で、その当時から後に任天堂代表取締役となる岩田聡氏と一緒にファミリーコンピュータ™用のゲームを開発していたのですが、その岩田氏が「就職するよりも博士課程に進んで研究者になった方が良い。その方があなたには向いているよ」と言ってくれた、それがきっかけでアカデミアに残ることになったのです。
※ファミリーコンピュータは任天堂の商標です。
講師まで務めた東京大学では大型計算機センターにスーパーコンピュータが設置されていました。学内の研究者は、この設備を利用して計算科学の研究を進めていたのです。私も並列コンピュータの研究開発に没頭していました。ところが、東京工業大学に助教授として移った頃は、東京大学のマシンに匹敵する性能を有する計算機についてはまだ設置予定の段階だったのです。私は個人的な研究のためであれば、東京大学のスーパーコンピュータを使用すればよかったのですが、東京工業大学の学生たちにはそれができません。そこで私はまず、JST(国立研究開発法人科学技術振興機構)の未来のイノベーションを育む個人型研究「さきがけ」に応募。それが採択されると、一定の研究資金を得て最新の計算科学に活用出来る性能を持った並列処理のコンピュータを独自につくり、学内に設置しました。パソコンのパーツを寄せ集めてソフトウェアで並列化して作成したのです。
その後通商産業省(現経済産業省)の「新情報」と呼ばれた、PCクラスタ技術などを研究するプロジェクトと連携して、2002年に東京工業大学で512CPUのマシンを構築しました。このマシンは⼤学の研究室内に設置したのですが、特に迷惑を掛けることもなかろうと大学側には報告せずにいたのですが、学内の施設の中でも際立つような膨大な電力を消費したために、その存在が大学側に露呈してしまいました。この時は高額な電気代について、それ以上に研究価値があるから使用を認めて欲しいと釈明しようと考えました。ところが大学側からは予想もしなかった就任依頼が。学内のスーパーコンピュータセンターを改組するので、是非その責任者になって欲しいと言われたのです。
東京工業大学で作成した大規模クラスター型スーパーコンピュータである「TSUBAME」シリーズは1号機(2006年)は、世界で初めてGPUを導入しました。
その頃からエヌビディア社の創業者であるジェンスン・ファン氏と交流が続いています。
ここから私のスーパーコンピュータ開発のキャリアが加速しました。東京工業大学に設置されている大規模クラスター型スーパーコンピュータである「TSUBAME」シリーズの開発を牽引してきたのです。TSUBAMEは0号機のリリースから始まり、それからその時代の最新技術を取り入れて開発やバージョンアップを断続的に行い、現在は4号機が稼働中です。
2006年に当時の日本最速のマシンとして開発したTSUBAME1号機をベースに、2008年には640個のGPUを追加し、世界で初めて実運用のGPUスパコンを実現しました。この頃から私はエヌビディア社の創業者であるジェンスン・ファン氏と度重なる意見交換をしてきました。彼のみならず、エヌビディアの創業者たちとは旧知の仲であり、今も密な技術交流が続いています。
そして2018年に当時の理化学研究所の松本理事長から、それまでに計10台のスーパーコンピュータを完成させた私に、計算科学研究センターのセンター長就任の声が掛かりました。すでに「富岳」の開発は終盤に差し掛かっていましたが、「富岳」の完成と関連技術の研究、計算機科学自体の発展、「富岳NEXT」の開発の立ち上げ、そして計算科学研究センター全体を牽引していくマネジメントリーダーを任されたのです。2020年初頭から始まった国内のコロナ禍は「富岳」の開発最終段階に大きな壁をもたらしました。当時の様々なデバイスのサプライチェーンが途切れ、パーツの調達が大幅に遅れたのです。設置の面でも工事が滞り、コストも跳ね上がりました。「富岳」開発の責任者であるセンター長となった私は、「富岳」の想定性能を落とさずに開発コストを下げる工夫を重ね、耐久性能を上げる機能の創出にも腐心しました。それを乗り越えて稼働を始めた「富岳」が、コロナウイルス感染対策で大きな成果を世に示すことになったのです。
以上のように、私の研究者キャリアは自分が心の赴くままに選んだ挑戦の連続と言えるでしょう。修士課程当時の私は、アカデミアでこれほど自由な研究ができるとは想像だにできませんでした。また、思わぬ所から声が掛かったり、未来を拓く出会いがあったりと、未知の領域に挑戦するからこそ途轍もないチャンスに恵まれました。博士人材は、自ら選んだ研究テーマに向かって積極果敢に進んでこそ、価値のある成果やリスペクトされる評価が後から付いて来ると言えるでしょう。
博士・ポスドクへの応援メッセージをお願いします。
世界中の研究者や起業家と接してきて常に思うことは、日本においては博士の社会的価値が過小評価されているということです。その原因の一つは、マスコミのミスリードにあるかも知れません。民間企業に就職した研究者やエンジニアに比べて薄給であるケースとか、ポスドクの身分が非常勤である故キャリアの不安定さなどを喧伝される場面が多いからです。元来博士人材には高い価値があり、社会は高待遇で迎えなければならないと語ろうとする目的だったはずが、その前段でネガティブな面しか広まっていないのです。そこで私はマスコミに対し、世間に向けて博士の社会的な価値をもっとポジティブに語って欲しいと考えています。こんなことができる、こんな能力がある、といったキラキラしたキャリアであるという事実を、もっともっと広めて欲しいです。産業界にも、博士人材を積極採用しないと日本の科学技術は世界に取り残されると申し上げたいですね。
海外では、Ph.D.を取得した人材を高く評価しています。例えばエヌビディアやグーグルに入社した人材が、Ph.D.を取得していれば社内でかなり優遇されます。コンピュータサイエンスのPh.D.だけに限りません。私の友人の中にグーグルのスーパーコンピュータの開発において重要な役割を担っている上級職の友人が何人かいますが、情報技術系ではなく天文学のPh.D.だったり、物理学のPh.D.だったりします。世界では、博士人材のキャリアの選択肢は分野に限らず、すこぶる幅広いのです。
こうした世界の事実と常識をきちんと認識し、博士人材には自信を持って社会で挑戦を続けて欲しいと考えています。理化学研究所も、そうした博士人材を大歓迎しています。アカデミアから研究成果を社会実装したいと考えて入所する人材も、産業界から研究を深めたいと考えて入所する人材もたくさんいます。また、こちらで一定の成果を残して再びアカデミアや産業界に戻る人材も少なくありません。
海外出身のグローバル人材も増えています。計算科学研究センターの研究者の約4割が外国籍です。一つ言えるのは、理化学研究所は自身のキャリアの中で重要なターニングポイントに位置付けられることです。一度でも入所したメンバーは理研ファミリーの一員となり、将来に繋がる貴重な人脈を得ることになるのです。博士人材は、産業界でもアカデミアでも、チャレンジをすることで未来は開けます。
そこで、産業界やアカデミアの研究者に、理化学研究所をキャリアを飛躍させるスプリングボードと認識して頂いては如何でしょうか。
国立研究開発法人 理化学研究所 計算科学研究センター
| 設立日 | 2010年7月 |
|---|---|
| 本社所在地 | 兵庫県 神戸市 中央区 港島 南町 7-1-26 |
| 主な事業内容 | 高性能な「計算」という事象自身を「計算の科学」として探求し、それによって得られる莫大な計算パワーを様々な科学分野の問題解決に適用してそれらの発展に寄与する「計算による科学」を推進し、更には両者の高度化に貢献する他の科学分野の産物である「計算のための科学」と連携を果たすべく、次世代の「計算科学」の世界トップレベル且つ我が国の中核拠点の研究センターとして活動しています。 |
| 採用ページ | 採用情報 | 理化学研究所 計算科学研究センター(R-CCS) |