博士の先達に聞く
研究大学として築いてきた実績や校風を糧に、 博士人材のさらなる理想環境の創出を図る東北大学 滝澤理事。
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2024年11月8日、東北大学が文部科学大臣から国際卓越研究大学に正式認定されました。
国際卓越研究大学とは文部科学省が国内の大学の国際競争力向上を目的に、政府が創設した10兆円規模のファンドを活用し、提出された申請書に記されている研究等体制強化計画を助成していく新制度です。2023年12月に公募を開始したところ10大学が申請し、その後に東北大学、東京大学、京都大学の3校に候補が絞られました。
そして国内外の有識者たちによる厳選な審査の結果、東北大学が唯一の初回認定校に選ばれたのです。東北大学には、2024年度中にファンドから約100億円の助成が行われ、それ以降も25年間にわたって助成が継続する予定です。
一方、先頃(2024年11月)世界的に権威のあるイギリスの教育専門誌であるタイムズ・ハイヤー・エデュケーションが発表した世界大学ランキング2025において、東北大学は世界120位、国内3位にランクインしました。
以上のように様々な場面で高い評価を得ている東北大学ですが、その研究大学としての国内有数の実力は何に由来しているのか。博士人材をどのように育成しているのか。さらに博士人材の価値をどう捉えるのか。
同大学で理事及び副学長を務められておられる滝澤先生にお聞きしました。
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(掲載開始日:2025年2月17日)
東北大学が研究大学として際立った実績を誇る理由を教えて下さい。
私が東北大学で学び、博士の学位を取得し、研究を続け、数多の学生を指導し、そして現在の理事兼副学長を担うに至るまでに、幾度も感じ取ってきた揺るぎない気風があります。
それは、教員や職員、学生といった構成員の多くが、“大学のあるべき姿”を理解し、それを追い求めていこうとするスピリッツです。
ここで言う大学のあるべき姿とは、学術研究・教育・社会貢献の3点に真摯に臨む機関であることです。大学の一員として何かにつけて全力を尽くす校風が、構成員に深く息づいているのです。それは専門の学術領域を学ぶことや極めること、あるいは後進に指導する姿勢に限りません。
例えば大学スポーツにおいても、東北大学の学生たちは手を抜かずに全身全霊で挑んでいます。
実際に旧帝国大学で競い合う7大戦(全国七大学総合体育大会)では最多優勝回数を誇りますし、UNIVAS* が集計する大学スポーツ2023-2024ランキングの国公立大学部門では鹿屋体育大学に次ぐ第2位、私立大を含めた東北エリアでも仙台大学に次ぐ2位の位置につけています。鹿屋体育大学はもちろん、仙台大学も体育大学ですから、東北大学のスポーツ熱の高さをご理解頂けるでしょう。
* 一般社団法人 大学スポーツ協会:全国主要226大学が加盟
もちろん国際卓越研究大学に認定されたことが示すように東北大学は研究大学としても知られ、学術研究や教育を担うアカデミアの面とスポーツの双方に精力を傾ける文武両道の大学と言えます。
国際卓越研究大学に認められたポイントも、次世代を牽引する研究大学を明確に構想して挑む積極姿勢だと捉えています。事実、教授を筆頭とした「講座制」と呼ばれる現行体制から、教員それぞれに学生や研究員などを配置して若手や中堅の研究者が独立した環境で研究出来る新体制への変更や、材料科学や災害科学など東北大学が強みとする研究分野の戦略的な強化など、大学全体の組織改革を盛り込んだ事業計画が、国際卓越研究大学の認定基準を満たしていると評価されました。
この、研究大学であろうとする風土は100年以上の歴史の中で培われてきたものです。
旧帝国大学の中で、東北大学は東京大学、京都大学に次いで3番目に1907年に開校しました。1校目の東京大学は国家を背負うという自負を持ち、2校目の京都大学はそれに負けじと対抗心を燃やす風土が醸成されていきました。
そんな長兄と次兄を見ながらスタートした3男坊の本校は当初からマイペースであり、自然に官僚養成機関ではなく研究大学を目指したのです。
そして本学は、研究大学たらしめるイノベーティブな研究成果を、異なる意見が活発に交わされる多様性の高い集団から生み出そうとしてきました。確かに、それまでに蓄積してきた学力や感性が均質な集団からは画一的な成果しか見込めず、一つの問題を全員が解けるか、あるいは全員が解けないかといったような状況では、新しい発想など出てこないでしょう。研究におけるこうした多様性の大切さを開校当初から深く認識してきた東北大学は、様々な学生を受け入れてきました。
例えば、1913年に日本で最初の女子学生の入学を認めた大学は本校ですし、東京大学や京都大学が明治期に創設された第一高等学校から第八高等学校までの官立の旧制高等学校の卒業生にしか入学を認めなかった時期に、本校は高等師範学校や高等工業学校といった旧制専門学校の卒業生にも門戸を開いていたのです。
以上のように東北大学は、研究大学としてあるべき姿を追求し、多様性を重視し続けてきました。
現在でもこの考えは脈々と受け継がれており、女子学生の比率は30%を超えていますし、AO入試にはかなり前から力を入れてきました。また、ダイバーシティの観点から留学生の受け入れにも積極的です。現在、博士後期課程の約30%、博士前期課程の約17%を海外からの留学生が占めています。残念ながら学部生の中で留学生が占める割合は僅か2%前後に過ぎません。
今後は研究大学としての価値を海外に向けて一層PRし、育ってきた文化的背景や教育の課程も異なる留学生を学部段階から増やしていく予定です。
多様性の重要さを知る東北大学は、学部や研究科の垣根を越え、組織を横断して新たな取り組みに挑もうとする気概を持っています。
その象徴とも言えるのが災害科学研究所の存在です。
設立の発端は2011年3月11日に発生した東日本大震災でした。海岸から距離のある各キャンパスは津波の被害は避けられましたが、地震の揺れによって建物や実験施設にはかなりの被害が出ました。
しかし、そこからの立ち上がりは力強いものでした。講義や研究環境の早期復活を目指して全学一丸となって政府との交渉に臨む一方で、深刻な被災地域への支援にも即座に動いたのです。
そして翌年に開設したのが東北大学災害科学国際研究所でした。
この研究所では災害科学を進化させた実践的な防災学により、あらゆる災害に強い社会を目指しています。しかも地震自体の地学的な研究や建築・土木における耐震技術、災害医療といった理工系領域のみに留まらず、古文書から大昔に発生した地震を深く知り、発生の予兆や教訓などに関わる知見を導き出す他、災害時に社会が適切に対応するための社会システムの構築を目指すなど、学際的アプローチを進める文理統合型の研究所となっています。
専門性を持った研究者たちが多様な領域を横断しながら交流することにより、社会課題を解決するための総合知を得ようとしているのです。
博士人材の本質的な価値についてどのようなお考えをお持ちですか。
研究大学である東北大学において学術的な活動の中核となる存在は、博士後期課程に進んだ学生や博士の学位を取得した研究者、すなわち博士人材であることに間違いありません。
しかし、学位の取得は博士として認められる必要条件に過ぎないと思います。
私は、博士とは「誰も登ったことのない山に登って、そこから見える景色の美しさを他の人に伝えられる人」であるべきだと捉えています。
多くの大学は博士について、世の中を先導するリーダーであると定義します。ただ先頭を歩くだけの人はリーダーと言えるでしょうか。誰も追随してこなかったらリーダーとは呼べないはずです。
なぜその山(テーマ)に登る(研究する)のか。その山がどれだけ美しい(価値がある)か、それを次に続く者に伝える力が博士には必要なのです。
そのためにはコミュニケーション能力や協調性が求められます。登山の比喩を続けますが、学部の学生は地図の読み方やピッケルの使い方を学んでいる基礎準備段階。博士前期課程のマスター修了者は低い山に一人で登って2〜3枚のスケッチを描くような練習段階。そして博士後期課程に進んで、はじめて自ら選んだ未踏峰の山を目指しそこで見たものを論文に仕上げる、つまり研究者の第一歩を踏み出すことになるのです。
自分でテーマを見つけ、アプローチを考え、自らの手で実験と検証を行い、その成果を苦心して論文にまとめる。
この博士が自律して進める「研究ライフ」を過ごす中で、博士らしいトランスファラブルなスキルが磨かれていきます。博士人材の採用に消極的な企業は往々にして博士の「研究ライフ」で培える創造性を見ずに成果だけを評価し、自社の研究や開発に合いそうもないと判断しがちです。そして専門外の分野については理解出来ないとまで決めつけているのではないでしょうか。
反対に、博士人材を積極的に採用する企業は、博士が「研究ライフ」で得た創造性を高く評価し、まったく新しいテーマに向き合ってもやり遂げる力があることを知っているのです。
また、私は高校生に大学を紹介する際に、研究とは “研ぎ澄まし究める” ことであり、 “強いられて勉める” 勉強とはまったく性質の異なるものであると伝えています。
自らテーマを選び、それを研ぎ澄まして究めてきた博士人材は、世の中の出来事に関心を持ち、自分なりの意見や答を用意出来る人材になっていると考えられます。
21世紀に入ってからのGAFAの急成長が示すように世界の産業界のトップクラスの企業の顔ぶれは10年単位で激変しています。それに比べ、日本の産業界の主要企業は昭和の頃からほとんど変わっていません。日本では新参企業による市場活性が見られないのです。企業各社の時価総額ランキングの年度別推移を比較すれば明らかです。これでは日本経済が世界から取り残されるはずであり、その沈滞化は今後さらに進む懸念もあります。それを回避するには、これから外国企業のように新しいコトづくりをいくつも成功させなければならないでしょう。
そして、この転換の駆動力になるのが博士人材です。イノベーティブな研究や技術開発、戦略的な企業経営などにおいて、博士人材のトランスファラブルなスキルを必要としているのです。
滝澤先生の専門である材料プロセッシングの研究をご紹介下さい。
私が東北大学の工学部に入学した1980年代前半はオイルショックを経て石油化学隆盛期を過ぎ、工学系では電子工学や原子核工学が花形でした。それでも応用化学科を選んだのは、ものづくりへの興味があったからです。個々に異なる特性を持った元素を組み合わせて作り上げた化合物が、まったく新たな機能を発揮することに、強い関心を抱いたのです。そこで応用化学科に入って材料の研究をしたいと考えました。
当時の材料研究には2つの大きな潮流がありました。
一つは開発プロセスを研究して連続的に特性を変化させていくものであり、もう一つは新しい機能を持った新物質の探索です。
私が博士の学位の取得に向けて選んだのは、大きなブレイクスルーが期待出来る後者でした。そして、化学反応を超高圧など特殊な環境で行う研究により、30ほどの新物質の生成を成功させました。
その後、東北大学の助手に就職し、在外研究制度を利用してテキサス大学オースチン校に留学しました。
そこで現地の指導教授の友人である電気工学の教授の実験装置に目をつけました。巨大な電子レンジのような装置を用いてマイクロ波を照射し、木材のような固体を乾燥させる研究を行っていたのです。私はこの装置を利用すれば新しい化学反応に挑めると気づき、現在の材料プロセッシングにつながる研究手法に着手。局所選択加熱による物質拡散挙動の変化や気相活性種の生成などを積極的に利用し、従来の材料プロセスでは実現できない新物質や新材料の探索を開始したのでした。
博士・ポスドクへの応援メッセージをお願いします。
未来のある博士人材に最も伝えたいのは、研究を大いに楽しんで欲しいということです。
研究とは研ぎ澄まして究めるものだと言いましたが、それは自らモチベーションを感じて進める自発的な行為でもあります。そうした姿勢を持つことで、日常生活にも研究の感覚が宿り、様々な場面で「研究者ライフ」を楽しめるようになります。
例えば私は週末に料理をする習慣があるのですが、その時々の様々な旬の素材を使用して美味しさをまとめ上げる料理には化学のエッセンスが凝縮していると感じています。
人生において自分の時間を最も研究に使えるのは博士課程の時です。この時期、研究に没頭し、思う存分試行錯誤を繰り返して下さい。そうした経験の積み重ねが、やがて博士にしか持ち得ないトランスファラブルなスキルに昇華していくのですから。