博士の先達に聞く
当時は異端と言われた研究テーマを歩み、 今はそのテーマに世界が注目する東北大学掛川教授。
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自ら選択したテーマで果たして大きな成功に辿り着けるか、あるいは期待した成果が得られないか、研究過程でその結末に自信を持てずに思い悩む若手の博士人材が少なくないと言われています。そうした後進に対し、研究実績を積み重ねてきた博士の先達である大学教授や企業研究者の多くは、「博士人材の本質的な価値はトランスファラブルスキルを持っている点にあり、どのようなテーマを選んだとしても、一つの研究に打ち込んだ経験は次に異なるテーマに移行しても活かされる」とエールを送ります。
さらに踏み込んで、博士人材の研究テーマ設定について、「多くの研究者が挑んでいる王道テーマから外れても良い、異端とも言える方向に挑んだとしても研究者冥利に尽きる発見につながる可能性がある」と述べておられているのが東北大学の掛川先生です。
実際に学部で地学を専攻されていた掛川先生は、米国留学を機に当時は地学において異端とされていたアストロバイオロジー(宇宙生物学)へと専門領域を移され、現在では世界から注目される研究者として活躍されています。また、「博士人材は日本の宝」、「今後は文系の博士人材の価値が高まる」、「数をこなすだけのインターンシップは無駄」と語り、さらに東北大学のキャリア支援センター副センター長と理学部キャリア支援室の室長を務めるなど、博士人材のキャリア形成に一家言をお持ちです。
今回はその掛川先生に、数々のご意見の背景やその趣旨を伺いました。
(掲載開始日:2024年12月19日)
掛川先生の専門であるアストロバイオロジーをご説明下さい。
私が研究を進めているアストロバイオロジーは日本語では宇宙生物学と訳されます。宇宙全体における生命体の存在を探査・考察し、「地球で生命体がどのように誕生したのか」、「他の惑星にも生命体は存在するのか」、「地球の環境変動が生命体をどのように変えていったのか」といった、生命の起源やその出現のメカニズムを明らかにする研究を進める学術領域です。このアストロバイオロジーは天文学や生物学、物理学、化学、地学(地球科学)といった様々な学問の融合・複合領域であり、私自身も学部時代に地学を学んだ延長線上でこの領域に挑むことになりました。
現在、研究の柱としているのは次の二つです。
一つは、太古の岩石から生命の痕跡を見つけ出し、当時の地球環境でどのような生命活動が行われていたのかを解明することによって生命の起源に迫る研究です。例えば、微生物が二酸化炭素を取り込んでアミノ酸を生成していた形跡が岩石の中に刻まれていたりするのです。日本国内には古い地層が残っておらず、この研究を進めるために、毎年何度も海外渡航して発掘調査を行なっています。2024年も、地球上で最古とされる38億年前の地層が残るグリーンランド、同様に古い時代の地層が残るカナダ、また生命の出現に必要とされる特定の元素が大量に産出するアメリカのカリフォルニア等で調査を行いました。
最新の成果としては、ナノシムスと呼ばれる1μm以下の空間分解能を持つ二次元高分解能二次イオン質量分析計を用いてかなり古い化石の成分を分析したところ、リンや窒素に富んでいることが分かりました。これは当時の生物が今の生物と変わらない代謝を行っていた証となり、一つの生命の原形を見つけ出したことになります。
研究のもう一つの柱が、生命をつくるプロセスを立ち上げることです。アミノ酸やRNAの配列の元となる生命体に近いものを人工的に生成できる条件を確立することで、生命の誕生モデルを導き出そうと言う試みです。世界のアストロバイオロジーの研究者のほとんどは、生命体の材料は宇宙から彗星や隕石等で運ばれたとする仮説を支持していますが、私は地球上に存在した物質と環境だけで生命の誕生が完結したと考えており、それを証明しようとしているのです。この研究を進めていく中で、生命の原型が誕生するには高温・高圧が好条件であったり、最新の地球表層では稀にしか見られなくなった特定の元素が必要だったりすることが分かってきました。
掛川先生がアストロバイオロジーの第一線に立つに至った過程を教えて下さい。
東北大学の学部時代は、火山の石の研究を行っていました。火山が噴火した際に、マグマが地表に流れ出て、どのような岩石になるのかを追究する地学の領域です。
そこから専門を大きく変わるきっかけとなったのが、私が学部4年生だった1987年に、アストロバイオロジーの先駆者でありアメリカのペンシルベニア州立大学で研究を行っていた大本 洋(おおもと ひろし)教授が東北大学理学部教授を併任したことでした。大本先生が私の指導教授となったご縁から、研究テーマを地学からこちらに移すことになったのです。
実は当初、私にはこの専門分野の変更に抵抗感がありました。当時、地学では生命現象は研究対象にならないとされていて、異端視されていたからです。王道だったのは、無機的な岩石や鉱物、地質等の研究です。私は不本意ながら大本先生に追随していくしかありませんでした。
ところが、取り組み出したら知的な刺激に溢れていました。1988年には大本先生の勧めでペンシルベニア州立大学に修士留学したのですが、米国でもまだまだ創成期の学術領域であり、新参の意欲的な研究者が次々と参入して大胆な仮説や思いもよらぬ発見などで盛り上がっていたのです。私もこの波に乗り、未開拓の領域だからこそ、それまでの定説や多数派意見が次々と塗り替えられていく醍醐味を体感しながら研究に没頭し、同大学でPh.D.(学術博士)を取得するまでに至りました。
このように、専門性を築く研究対象を、誰も手掛けていない領域がたくさん残されている分野に変えたら俄然面白くなったという経験をしているので、博士人材には、異端とされていても是非未知の分野の新しい研究に挑んで欲しいと私は個人的に思います。
博士人材の社会的価値についてどのようなお考えをお持ちですか。
欧米では、博士になったらテーマを広げなければならないという考えがアカデミア全体に浸透しています。そして、そこから生まれた新しい成果や知見を社会に広げていくための説明責任があるとされていますので、若手研究者の誰もが第三者に研究成果を伝えるコミュニケーション力やプレゼンテーション力を磨いています。そうして、若手研究者の産んだ、社会を前に進める、あるいは重要な課題を解決する技術や知識が広がっていくのです。
それだけに、博士の学位を取得した人の社会的価値は高く、博士人材は国力を引き上げる存在だと認識されています。一方、日本の研究者は、博士になっても大学時代から続くテーマで研究を継続しようとする傾向があります。そのために、世界に先駆けて新しい技術や知識をなかなか生み出せない、現代の日本の弱みになっているのではないでしょうか。今の日本社会では、博士人材の価値や必要性は曖昧だと言えます。
そうした博士人材の本来評価されるべき高い価値ですが、ようやく日本でも認められ始めたように感じています。企業がグローバル化して、日本企業の経営陣や第一線で活躍する社員が、海外の取引先や提携先のカウンターパートは博士ばかりであることに気づき、対等に接するには日本企業にも多くの博士人材が必要であると再認識したのかもしれません。博士は日本の宝だと誰もが思う日は、そう遠くない未来に訪れると思います。
また、欧米では研究開発の最前線のみならず企業経営の中枢や政府の政策決定の場で意思決定を担っている人材の多くも博士です。
私はそうした場面を担う社会科学系の博士人材に加え、人文科学系の博士の存在価値も高いと考えています。例えばアストロバイオロジーを突き詰めていくと「生きる目的とは何か」といった哲学的な思索に触れざるを得ませんし、AIの進化は人文科学系の研究者が扱うエシカル(倫理的)な問題の重要性を呼び起こしました。文系の博士人材には社会をまとめるという大切な役割があるのです。当然、文理の垣根を跨いだコミュニケーションが大切なのは言うまでもありません。
このような文理の融合・複合研究を推進する仕組みとして、東北大学には学際科学フロンティア研究所と呼ばれる施設が設置されました。この施設では、同じ建屋で文理様々な学部・研究科の助教やポスドクが自身の研究を進めつつ、コミュニケーションの取り易い環境下で分野を超えて社会の課題に応える学際融合型の研究を行っています。この施設の運営による成果が周知され、文理それぞれの研究者が交流する機会が国内のアカデミアにおいてもっともっと広がれば良いと思います。
掛川研究室の博士人材はどのような進路を歩まれていますか。
博士人材は研究テーマを広げて欲しいと述べましたが、私の研究室からアカデミアに進んだ研究者たちの多くは、研究室時代に追求したアストロバイオロジーのテーマを引き継いでいます。研究室の学生たちには「自分がやりたいと思っている研究をやって欲しい」と言っています。
しかし、この先も画期的な発見や論理考証に至る可能性の大きいアストロバイオロジーにやりがいや面白さを見出しているからでしょう。
また、鉱業業界や石油業界に就職した卒業生たちも、今までの研究で得たスキルを活かした仕事で活躍を見せています。中にはポスドクを経て起業し大成功を収めた卒業生もいます。地中からプランクトンの化石を見つけて分析する技術を活かして、埋蔵されている原油の状態を提示することで掘削に貢献するコンサルティングサービスの会社をフロリダで立ち上げたのです。現在は石油会社からの依頼が絶えないそうです。
掛川先生が取り組んでおられる学生のキャリア支援活動についてご紹介下さい。
私は東北大学理学部のキャリア支援室の室長を任されており、学部の学生には就職支援や大学院への進学指導、修士の学生にも就職支援と博士後期課程への進学指導、そして博士人材には研究者のキャリアを活かした就職支援を行っています。博士人材については、進めてきた研究テーマをそのまま継続できる企業やアカデミアを探す意味は薄いと考えていますが、発展・飛躍させることができるテーマを企業から引き出し、選択肢につながる情報として博士人材に与えるマッチング行為にはとりわけ注力しています。
先般、キャリア支援室のイベントではありませんが、東北大学の卓越大学院プログラムの一環で、某大手建設会社にバイオ燃料事業を強化するという構想があり、バイオ燃料の研究目的で生物学や地学の博士人材を求めていることを知りました。それまでゼネコンは建築土木系の学生しか採用しないと解釈していましたが、このケースで、キャリア支援をする大学側は、常に産業界の最新動向を取得しなければならないと痛感しました。
また、博士人材が企業に就職する有効な手段としてインターンシップが増えてきましたが、私は弊害も出ていると捉えています。とにかく内定をもらいたいがために、10社以上のインターンシップに参加してしまうケースです。これでは最適な就職先を見つけるために相互の理解を深めるというインターンシップ本来の目的とは程遠いものになってしまいます。キャリア支援室としては、多忙になって本分である大学の所属研究室における活動を阻害することなく、むしろ大学での研究にプラスの効果をもたらすインターンシップを探し出し、研究にも就職にも役立てられるよう指導しています。
博士・ポスドクへの応援メッセージをお願いします。
博士人材は、2年間の博士前期課程までを修了した修士とは異なり、5年にわたって専門性を磨いたことから、何よりも経験値が違います。また、学会発表や論文発表で揉まれる中で深く考え、新たな発想力を引き出してきたことが、研究者のキャリアを継続できる確かな基礎を築いています。
それでもこの先、果たして自分は研究の第一線にいつまで残れるのだろうかという不安が頭をもたげることもあるでしょう。私は、真摯な研究姿勢があれば必ず乗り越えられると確信しています。
実際に、私の周囲で研究に真正面から取り組んでいる博士人材は周りから好意的な目で受け入れられ、ターニングポイントでは度々飛躍のチャンスが訪れています。アカデミアあるいは民間企業で、研究者としてキャリアを適切に伸ばすポストを紹介されているのです。そこで真摯な研究姿勢に加えて重要になってくるのは、周りとの交流です。指導教授以外にも多くの研究者と意見を交換し、自分という人物を知ってもらい、人脈を築いていくことでチャンスがより広がるからです。
内に篭らず、自分の培った研究力に自信を持ち、時には専門領域を超える積極的な取り組みに挑んで下さい。きっと、実りの多い研究者のキャリアを歩めることでしょう。