博士の先達に聞く
博士人材の可能性を引き出すために、大学と産業界の垣根を超えるキャリアモデルを構想する、東京大学理事・副学長の齊藤延人教授。
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東京大学理事・副学長である齊藤延人先生は、東大の学術研究の活性化や医学部附属病院の運営に関する責任者であると同時に、日本を代表する脳神経外科医でもあります。また、優秀な博士人材のキャリアの価値を引き出すための施策を、高い視点から構想する立場にもあります。今回は、齊藤先生が考えるこれからの博士人材の活用に向けた有効なアプローチや、産業界への期待、さらに博士人材の本質的な価値等について語って頂きました。
―――ノーベル賞受賞者(カッコ内は東京大学との関係)―――
●物理学賞
1965年 朝永 振一郎先生(東大理学博士)
『量子電気力学分野での基礎的研究』
1973年 江崎 玲於奈先生(東大理学博士)
『半導体におけるトンネル効果の実験的発見』
2002年 小柴 昌俊先生(東大理学博士)
『天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出へのパイオニア的貢献』
2008年 南部 陽一郎先生(東大理学博士)
『素粒子物理学における自発的対称性の破れの発見』
2015年 梶田 隆章先生(東大理学博士)
『ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動の発見』
2021年 眞鍋 淑郎先生(東大卒)
『複雑系である地球気候システムの理解に対する画期的な貢献』
●化学賞
2010年 根岸 英一先生(東大卒)
『クロスカップリングの開発』
●生理学・医学賞
2015年 大村 智先生(東大薬学博士)
『線虫の寄生によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関する発見』
2016年 大隅 良典先生(東大理学博士)
『オートファジーの仕組みの解明』
●文学賞
1968年 川端 康成先生(東大卒)
1994年 大江 健三郎先生(東大卒)
●平和賞
1974年 佐藤 栄作先生(東大卒)
―――ストックホルム水大賞受賞者―――
2024年 沖 大幹先生(東大工学博士)
『地球規模の水循環と気候変動、世界の水資源と持続可能な開発』
―――フィールズ賞受賞者―――
1954年 小平 邦彦先生(東大理学博士)
『調和積分論、二次元代数多様体(代数曲面)の分類』
―――プリツカー賞受賞者―――
1987年 丹下 健三先生(東大卒)
1993年 槇 文彦先生(東大卒)
1995年 安藤 忠雄先生(東大特別栄誉教授)
2013年 伊藤 豊雄先生(東大卒)
2019年 磯崎 新先生(東大卒)
(掲載開始日:2024年11月5日)
齊藤先生が東京大学で担っている業務についてご紹介下さい。
東京大学の理事・副学長として大学運営に携わっています。この職務を中心に、医学部附属病院では患者さんの診療を行い、また教授として学生の教育も行なっています。
大学運営においては、東京大学の培ってきた蓄積を活かして、研究力の更なる強化を図る施策を推進していく立場にあります。その一環として、既存組織の改革や新制度の策定等にも関与しています。また、官公庁や国内外の教育・研究機関との連携も重要な役割です。そうした様々な職務の1つとして、博士人材のキャリア支援に関する協議会の会議にも出席しています。
博士人材のキャリア形成について、齊藤先生の提言をお聞かせ下さい。
研究者としてのキャリアを志向する人材がもっと必要だという問題提起を、色々なところで耳にします。研究者を増やすためには何よりもまず、学士課程から修士課程を経て、更に博士課程まで進む道を選ぶ学生を増やさなくてはなりません。ただ、その選択を難しくしている原因もこれまで指摘されてきました。問題の1つとして、大学院の学生たちが置かれている経済環境、すなわち収入面での生活不安があります。これを解決するために、東京大学でもいくつかの取り組みをしています。
以下のような例があります。文部科学省の卓越大学院プログラム (WISE Program:Doctoral Program for World-leading Innovative & Smart Education)は、あらゆるセクターを牽引する卓越した博士人材の育成を目指すと同時に、産学共同研究が持続的に創出される拠点の形成を推進する事業です。東京大学からは3つのプログラムが採択されています。このプログラムに参画する博士課程の学生には生活支援経費を助成しています。さらに東京大学は独自に、研究科等が連携して構築した修博一貫(又は学修博一貫)の学位プログラムである国際卓越大学院教育プログラム (WINGS:World-leading Innovative Graduate Study Program) を開設しており、同じように生活支援経費を助成しています。また、科学技術振興機構 (JST) の事業である次世代研究者挑戦的研究プログラム (SPRING:Support for Pioneering Research Initiated by the Next Generation) には、「グリーントランスフォーメーション (GX) を先導する高度人材育成」プロジェクト (SPRING GX) として採択されています。選抜された博士課程の学生には、生活支援経費及び研究費の助成に加え、審査のうえ海外渡航等の支援も行なっています。
東京大学が2021年に設定した目標では、博士課程の学生の50%以上にこうした経済的支援を行うという項目を組み入れました。この目標は最近になって達成しました。
このように、東京大学では博士課程の学生の生活と研究に対する支援制度の整備を進めてきました。しかし、これに満足することなく一層の支援の充実に向けて取り組んでいます。
ところで、理工系の研究科出身の博士の場合、大学院で指導教員や研究室メンバーと関係を深めても、企業に就職してからは縁が切れてしまうことが多いかもしれません。これはもったいないと思います。一旦就職した博士人材が、共同研究やリスキリングを目的に大学に一時的に戻り、そこで新たな知見を得て企業に復帰するというような交流が、もっと頻繁に行われていても良いと思っています。
一方で、医学の世界では、大学等の研修プログラム(昔の医局)に入るとその縁が一生続くことも稀ではありません。診断や治療の勉強は卒業してからも一生続きます。一旦大学の外に出ても、最新の医療研究の成果や先端医療に触れる機会を保って、更なるスキル向上に励むことが多いです。また、1つの場所にとどまらず複数の病院で経験を積むことが普通ですから、その過程でも大学で得た縁が貴重なものとして生きてきます。
企業に比べて、病院の間の競争というものはそこまで激しくありませんから、人的な交流は比較的易しいと言えると思います。一方、産業界では、優秀な研究者が外部に流出してしまえば、企業価値のコアでもある知財の拡散にもつながりかねませんよね。ただ、そうしたマイナス面を乗り越えて、大学と企業との人材交流を活性化できれば、両者にとって大きな利益になるだろうと思います。
別の問題意識ですが、博士課程の学生が抱いている1番の不安は、自分の先行きが見えないことだと思います。大学は若手研究者に対して、ポスドクのような任期付きのポストではなく、安定したポストを今以上に用意する必要があります。ところが、若手研究者を増やすといっても、採用した若手は数年経てばすぐ中堅になってしまいます。つまり、一時的にお金をつけて若手研究者を増やしても根本的な解決策にはならないのです。本当は、全ての年代の研究者に渡ってテニュアを増やさなければなりませんが、これにはとても大きなお金が必要になります。1つの大学だけでは解決がなかなか難しい課題であり、産官学一体となって考えていかなければならないと考えています。
社会に必要とされる博士人材の本質的な価値とはどのようなものとお考えですか。
私の専門での経験をもとに言うと、博士課程を経た人は思考の幅が広がります。学士課程や修士課程での学びに満足せず、その後数年に亘って研究に没頭した経験は、人間を大きく成長させます。ですからきっと、狭い意味での学術以外の分野に行っても、大きく飛躍できるのだろうと思います。
例えば産業界では、新しい技術領域を開拓することや、社会の求める課題解決へ貢献することなどが期待されるかもしれません。簡単なことではありませんが、1つのアプローチとして有効なのが異分野融合です。東京大学の藤井輝夫総長が打ち出しているキーワードの1つが「対話」ですが、異なる背景を持つ多様な人々と議論することは、研究を深化させ人を強くすると考えています。実際に、学際的研究から生まれているイノベーションがあります。私たちも、異なる考え方を持つ人々が集まって共に活動できる場に大学を変えられるよう、取り組んでいます。
また、卓越した研究者として活躍するためには、国際的な環境で勝負できることが重要です。インパクトが大きく、多くの研究者に読んでもらえる論文を生産するためには、最初から世界を巻き込んだプロジェクトに参加して、国際共著論文を増やすことが有効であるという分析があります。こうした経験を積んだ人材は、産業界から見ても価値が高いのではないかと思います。東京大学も、国内外から多彩な学生を迎え、優秀な人材として社会に送り出せる場であろうとしています。海外の研究機関と連携して研究拠点を海外に設ける取り組みや、その反対に海外機関の研究拠点を大学内に作る取り組みなどを進めています。
また、学内でも、学部や研究科の垣根を超えた学内連携を積極的に行なっています。連携研究機構という、複数の学部・研究科・研究所にまたがる学内組織を設置できる仕組みがあります。既に40を超える機構が稼働しています。例えば、医学系研究科も工学系研究科と共同で機構を設けて、将来を見据えた臨床開発や新しい健康医療システムの研究に取り組んでいます。
博士・ポスドクへの応援メッセージをお願いします。
まずは研究を楽しんで下さい。研究に取り組んでいる最中は、最終的に上手くいくのかどうかわからない中でも頑張る必要があります。没頭している時間ばかりではなく、不安を感じるときもあるでしょう。でも、自分で選択した研究領域なのですから、その分野の好きな部分や、社会的意義を感じる部分があるはずです。だからこそ、続けられてきたのだと思います。
皆さんにも、研究者としてのキャリアを歩む中で、やっていてよかったという喜びを味わえる瞬間が訪れるはずです。例えば、自分で立てた仮説が実験結果で補強された時や、期待した研究成果が確認できた時です。こうした瞬間を逃さずに、研究を楽しみ続けることができれば、いつしかアカデミアもしくは産業界で、一目置かれる存在になれるのではないでしょうか。