博士の先達に聞く
博士人材の専門性は他と関わることで深化するからこそ、伝える力と聴く力を磨こうと説く大阪大学副学長森井教授。
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大阪府の北部・千里丘陵エリアに位置する豊中市、吹田市、箕面市の各キャンパスに11学部及び15研究科を展開し、国立大学の中でもトップクラスの学生数を擁する大阪大学。そのスケールに相応しく、数々の研究成果が知られていますが、社会の重要課題を正面から捉えたテーマや社会実装を想定したチャレンジが多いことが特徴として挙げられます。実際、大阪大学は産業界との結びつきが強く、大学のキャンパス内には企業との共同研究所が数多く設置されています。現在も業界を牽引する先端技術開発企業と共に、社会的要請に応える共同研究や共同開発などの共創活動を盛んに行っているそうです。
また、大阪は古くから医薬品企業の本拠が集積している土地柄もあり、様々な産学連携の中でも特に、医学研究面での取り組みが注目されています。文部科学省が平成30年に公募を開始した「卓越大学院プログラム」の初年度の選定では、「生命医科学の社会実装を推進する卓越人材の涵養(かんよう)」が採択されました。
そして、この卓越大学院プログラムを牽引するプログラムコーディネーターが、大阪大学副学長であり大学院医学系研究科教授の森井英一先生です。さらに森井先生は、大学のキャリアセンターのセンター長も務めておられます。そこで今回は、森井先生に大阪大学における博士人材に対する研究支援やキャリア支援、さらにそれに関するお考えについて伺いました。
(掲載開始日:2024年9月24日)
森井先生が担っておられる数々のお仕事についてご紹介下さい。
私は大阪大学の副学長を兼務する大学院医学系研究科の教授であり、PI (principle investigator=研究室主催者)として自らの研究グループを率いています。専門は病理学で、腫瘍や感染症に罹患した病理検体の裏に隠れた病態メカニズムの解明と病理診断技術の向上を進めています。病理専門医として、生体がどのような機序で病気に至るのかを解明することにより、治療や予防に繋がるのです。また、臨床医からの、患者様から採取した検体の病理診断依頼にも日々応じています。
臨床医から診断を依頼された検体に着色して顕微鏡で覗き、例えばがんの腫瘍検体であれば陰性・陽性の判断はもちろん、どのステージに相当するのかを見極め、詳細な診断結果を返答しています。こうした病理専門医としての役割を担う一方、大学教授としては研究室メンバーへの指導や学部生への講義を行い、病理学会では病理専門医制度運営委員長を務め、日本専門医機構では専門研修プログラム委員長として日本の専門医制度の更なる整備を進めています。
そんな私がもう一つの大きな使命と捉えているのが、学生たちへのキャリア支援です。「社会的及び職業的自立を図るために必要なキャリア支援活動を行う」をコンセプトに掲げる大阪大学のキャリアセンターの責任者(センター長)を務めています。未来のある学生たちがそれぞれ磨いてきた専門性を活かして活躍し、一人一人が生涯に亘って自ら望む生き方・働き方を実現できるよう、単なる就職支援ではなく、自らキャリアをデザインしていく意義の啓発に注力しています。学内外の組織と連携して進路選択をサポートする就職支援部門に加え、キャリア教育部門がアカデミックなキャリア理論も教養として教えながら人生100年時代を生き抜くための知識・技能・態度を学生たちに修得してもらう仕組みを確立しているのです。
私は、このセンター長の役割を、研究医とまったく別のものだという捉え方はしていません。キャリアセンターでの活動は大阪大学全体の人材育成の一環ですが、私が担っている医学系研究科におけるほとんどの職務も人材育成と不可分です。「優れた人材を育み、世に送り出したい」という想いは、日常的に若手研究者と接している大学の研究者であれば誰もが自然に備わっている意欲ではないでしょうか。そしてこの思いがあるから、研究医の職務に奔走する日々においても、学生のキャリア支援活動への熱意は一向に衰えないどころか、益々情熱が駆り立てられています。
卓越大学院プログラムの「生命医科学の社会実装を推進する卓越人材の涵養」とはどのような内容ですか。
文部科学省が、あらゆるセクターを牽引する卓越した博士人材を育成することを目的に推進している「卓越大学院プログラム」は、私の研究者としての人材育成意欲と、時代が求める先端領域に取り組む意義、更に産業界との共創活動をふんだんに行ってきた大阪大学らしさがマッチするプロジェクトです。
本プロジェクト初年度の公募で採択された「生命医科学の社会実装を推進する卓越人材の涵養」の内容は、医歯薬生命分野において国際競争に打ち勝ち、優位性のある研究成果を挙げるための「研究実践力」と、自らの研究成果を迅速かつ効果的に社会に還元していくための「社会実装力」の涵養を図るものです。このプログラムを特徴づけているのは、大阪大学が産業界と深く結びついてきた実績を活かして、グローバルなメガファーマや先端医療系企業、公的研究機関との緊密な協力で推進している「研究開発エコシステム」です。
このエコシステムは、産学共同研究の研究成果を社会実装し、そこで判明した新たな課題や問題点を元の研究現場へフィードバックし、改良発展した研究成果で再度の社会実装に挑むサイクルを繰り返すスパイラルとなっています。言わば失敗を糧に次のフェーズに進むことで生命医科学に関する課題解決への精度を高めていく仕組みです。このエコシステムにより、研究成果のポテンシャルを知財、市場性、規制科学等様々な角度から的確に分析して社会実装を推進できる博士人材を育成します。
このプログラムのもう一つの特徴は、医学のみならず、保健学、歯学、薬学、生命機能学の各所属研究科で取得する学位に「生命医科学の社会実装プログラム修了」が付記されることです。私は学際領域にこそイノベーションの萌芽(ほうが)があると共に、どの専門領域においても他の専門分野から気づきや解決のヒントを得ることが不可欠だと考えます。医学でいえば、理工系や情報系を超えて、人文社会系からもポジティブな影響を受ける可能性を広げることができます。また、どの分野同士であっても、相互に結びつくことに価値があります。例えば先端生命科学は遺伝子を扱えるようになったことで神の領域に近づいたと言われていますし、進化の著しいAIなども同様の問題を孕んでいます。そこで問われているのは、確かな倫理観です。倫理を扱う宗教学や哲学、社会学、政治学、文学などから、生命医科学の研究者が得るものは今後益々重要になっていくことでしょう。
博士人材が産業界やアカデミアでキャリアを築いていくために必要なものは何ですか。
博士人材を博士人材たらしめているのは、何よりも専門性です。この専門性については、長期的な視点では外見が一貫している必要はありません。研究を突き詰めていく過程で、その中身が深化したことにより、形を変えて異なる領域に展開することになってもその専門性の価値は継続発展できます。むしろ専門性を高めていくには時に研究方針の大胆な変化を選択することも必要です。
そしてもう一つ重要なのが、「語る力」です。専門分野において質問された内容に正しく返答できる力は当然として、自らの研究テーマに関する本質的な価値や未来像を相手のリテラシーに応じて分かりやすく説明できるコミュニケーション力は、博士人材に不可欠な能力です。この力が他領域の研究者との深い関わりを引き寄せ、先ほど申したようにその相互理解の中から新たな気づきが生まれます。他にも科研費の獲得や産業界からの研究投資を募る時に活かせますし、スタートアップに踏み切る際にも、産業界でキャリアを築いていく際にも、自らの研究成果やその価値を公正に評価してもらう意味で大きな武器となります。
こうしたコミュニケーション力を養うと共に、異分野との接点を創出する機会をもたらす取り組みとして、博士後期課程学生を対象とした次世代挑戦的研究者育成プロジェクトでは、「ミキシングプレゼンテーション」と称される、単位が与えられる必修科目を設定しています。この科目は、大阪大学大学院の各研究科の博士人材が、異分野・異領域の博士人材に向けて自分の研究内容を発表し、それに対する討議を行います。座長も立候補したプロジェクト生が務め、教員は見守ることに徹します。これによって自らの研究を「語る力」が磨かれ、博士人材たちによる研究科間の壁を超えた共同研究に繋がる機会にもなります。
森井先生が医学研究に邁進されるまでの経緯をご紹介下さい。
私は京都大学の薬学部を卒業した後、学士入学で大阪大学の医学部に編入しました。当初薬学部の受験を選択したのは、薬学が物理学、化学、生物学、数学の中の解析学などを広範囲にカバーする総合科学だからです。当時の私は世界を成り立たせている様々なメカニズムを知りたいと考えていました。実際に、薬の剤形を少し調整しただけで薬効が大きく変わることがありますから、そのメカニズムを追究する薬学は面白かったですね。ところが、薬学について学ぶうちに、徐々に人の生命現象への興味が高まり、人の体のメカニズムを知りたいと思うようになりました。そして人の体に接しながらこの領域を深く学べるのは医学部であることを知りました。そこで思い切って医学に舵を切ることにしました。
京都大学の薬学部時代は好きな勉強に没頭できました。大学自体が、人と違うことをやることを評価する雰囲気だったからです。大阪大学の医学部時代は、友人と助け合いながら勉強しました。特に試験前は、友人たちと深夜まで互いに質問し合い、それまでに暗記した記憶の補強や、口頭試問でどのような質問をされたのか情報を共有して大いに助けられました。彼らとの友人関係を得られなかったら、無事に卒業して今の仕事に就くまでに、かなりの回り道を要したかも知れません。当時の友人たちは、私のように大学に残って研究医になる以外にも全国各地で勤務医や開業医など様々なキャリアを歩んでいますが、今も仲が良いですし、仕事上で助け合う関係はまだまだ続いています。
博士・ポスドクへの応援メッセージをお願いします。
学部生時代に博士課程へ進もうと志した博士人材は、やはり知的好奇心が旺盛で、勉強や研究が好きだからこそ難度の高い研究テーマであっても乗り越えられるのだと思います。そうして高めた専門性を活かすために、コミュニケーション力を磨いておかねばならないのは、先に申した通りです。
それに加えて、多様な分野の人材と交流して様々な体験をすることも、論文や書籍を読み込んで知識を蓄えることも重要です。そうしたインプットに無駄なものは何もありません。私は兼務する複数の職務の合間に、くつろげる寸暇を得た時、研究上の懸案事項を解決するアイデアや解明できなかった事象の解が思いがけず脳裏に閃くことが多々あります。そこに至るまでに膨大なインプットをしてきたから、ふとした瞬間にポイントとポイントが繋がって解決に至るのでしょう。皆さんが今まで取り組んできた勉強や研究には、必ず次に繋がる土台となる価値があります。他者に上手く伝えられるコミュニケーション力を磨き、専門性を大きく発展させて輝かしいキャリアを歩んで下さい。