博士の先達に聞く
女性の社会進出や博士人材の登用がもたらす豊かな多様性。それを日本の伸びしろと語る名古屋大学 副総長 束村教授。
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2015年に国連で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)にも掲げられているように、近年は社会における多様性の重要さが以前に増して認知されるようになっています。国内アカデミアの中で社会の多様化に挑むトップランナーと言えるのが名古屋大学です。名古屋大学は全国の国立大学に先駆けて2003年に男女共同参画室を設置し、ジェンダー平等の実現に向けた取り組みに本格的に着手されました。具体的には女性研究者へのキャリア支援やワークライフバランスの推進、そのための環境整備等を幅広く実施。その結果、現在では名古屋大学の女性教員比率は旧七帝大トップクラスの20%に到達しました。また、このような名古屋大学の姿勢や女性リーダー育成の取り組みは国際的にも評価され、HeForShe(UN Women(国連女性機関)が立ち上げた、すべてのジェンダーの人々が繋がり、ともに責任を持ってジェンダー平等を推進するムーブメント)を推進する世界の10大学に、日本から唯一選出されています。 そうした名古屋大学の多様化推進においてリーダーシップを発揮されている1人が、副総長であり農学博士として束村研究室を主催されている束村博子教授です。束村先生は、女性の活躍に加えて博士人材も社会の多様化推進で重要な役割を担うと語ります。そこで、束村先生の名古屋大学におけるジェンダー平等への取り組みに加えて、社会の多様性に博士人材がどのように貢献できるのかを語って頂きました。
―――名古屋大学 ノーベル化学賞受賞者―――
2001(平成13)年
野依 良治 理学研究科教授(受賞時)
『キラル触媒による不斉水素化反応の研究』
2008(平成20)年
下村 脩 理学博士(名古屋大学)、元理学部助教授
『緑色蛍光たんぱく質GFPの発見と開発』
―――名古屋大学 ノーベル物理学賞受賞者―――
2008(平成20)年
小林 誠 理学博士(名古屋大学)
益川 敏英 理学博士(名古屋大学)、元理学部助手
『クォークが自然界に少なくとも三世代以上ある事を予言する、対称性の破れの起源の発見』
2014(平成26)年
赤﨑 勇 工学博士(名古屋大学)、元工学部教授
天野 浩 工学博士(名古屋大学)、工学研究科教授(受賞時)
『明るく省エネルギーの白色光源を可能にした効率的な青色LEDの発明』
(掲載開始日:2024年4月23日)
名古屋大学が男女共同参画にいち早く取り組まれた背景をご説明下さい。
名古屋大学(以下、名大)の校風は、自由闊達です。旧七帝大の中で比べるとそれは際立っていて、1939年に最後に帝国大学となったように歴史的に若く、規模の面でも東京大学や京都大学ほど巨大ではないこと等から、学生も教員も活動しやすい風土が息づいているのでしょう。こうした面は学術研究の面においても追い風となり、新たな領域への挑戦とその成果が国際的に評価されるノーベル賞受賞者の多数輩出にも繋がっていると思います。同様に、大学の執行部に対しても機動力と起動力をもたらしていて、多様性と男女共同参画への取り組みにもいち早く取り掛かろうと言う気運が芽生えたのだと考えられます。2001年には、他大学に先がけて「名古屋大学における男女共同参画を推進するための提言」 を教育研究評議会で決定しました。
束村先生が男女共同参画に尽力されている理由をお話し下さい。
私自身がジェンダーギャップの解消に取り組み始めたのは、2000年のことでした。きっかけは、名大の職員組合の女性部の働きかけにより、女性発の意見を学内に届けようという趣旨で創設された「女性研究者懇話会」に参加したことです。当時私は農学部の助教授でしたが、その時の会合に学部を代表する立場で参加の声が掛かりました。そして司会を任せられ、その直後に代表者となることを依頼されました。
それからしばらくして、名大に「男女共同参画室」が開設。こちらでも室員に招かれ、3年後には室長となりました。それまでの私は、男女共同参画にそれほど関心が高かったとは言えません。むしろ、その当時本学生命農学研究科教授で、後に東大に戻った夫の方が遥かに男女共同参画の社会的重要度を認識していました。夫には時代の求める動きを見通す先見の明があり、私に対してよく「日本の今後の発展には女性の活躍がマストだ」と語っていました。そうした女性の社会進出に関する視座の高い夫を持ちながら「女性研究者懇話会」と「男女共同参画室」の2つの取りまとめ役を拝命したことで、社会には沢山のジェンダーギャップがある事に気付き、その解消に真正面から取り組むことになったのです。以来22年間に亘り、この課題の解決に尽力することを社会正義だと考え、使命感を持って取り組み、今日に至ります。
私は生殖科学や神経内分泌学、家畜繁殖学を専門としており、脳の性分化の研究もしています。研究を通じて、一人ひとりの人間には個性はあるが、男女で能力の違いはないことを生物学的に認識していました。それにも拘らずこの問題に直面して、私にも性別と職業における「無意識のバイアス」があることに気づく機会がありました。それは例えば、優秀な外科医は100%男性に違いないと無意識に思い込むような、偏った判断をしてしまうことです。男女の職業や能力に関してそうした無意識のバイアスがかかることによる間違った判断や評価が、女性の社会参画にとって大きな足かせになっていることを、その後に様々な検証データを通して気付くことになりました。
私は男女共同参画の意義や価値を、社会の実利的なデータに基づいて訴求する姿勢を貫いています。
まずは日本のジェンダーギャップが大きいというデータが根本にあります。国連開発計画(UNDUP)の2023~2024年版報告書では、平均寿命や教育、所得の観点から各国の豊かさを測る「人間開発指数」について、日本は193カ国・地域中で24位です。それに対し、世界経済フォーラム(WEF)が国の男女格差を「経済」「教育」「健康」「政治」の4分野で評価し、国ごとのジェンダー平等の達成度を発表した2023年の日本の「ジェンダーギャップ指数」では146カ国中125位です。この2つの指数の大幅な乖離を知ることで、日本の女性がいかに不平等に直面しているかがご理解頂けると思います。そして、日本のジェンダーギャップ指数の値を、完全平等を示す “1” に近づけることで、性別を問わない評価である人間開発指数をも大きく伸ばすことができるのは明白です。日本における女性の社会進出や格差解消は、まさに日本の「伸びしろ」なのです。
男女共同参画を進めることによって、社会にポジティブな効果をもたらすデータは、様々な検証を通して示されています。例えば、全世界の企業で、女性取締役を1人以上有する企業は、1人もいない企業と比べ、2008年の世界的な金融危機以降に株式パフォーマンスが6年間で26%上回っています* 。また、日本政策投資銀行 産業調査部は、男女混合チームによる特許は、男性のみのチームの特許に比べて、ほとんどの産業分野において経済価値が高いというデータを公表しています。多様性の確保がイノベーションの源泉になるのです。
* 出典:Credit Suisse Research Institute, " Gender diversity and corporate performance ", August 2012
束村先生を中心に進めてきた男女共同参画への取り組みをご紹介下さい。
名大は、主要国における女性研究者の割合において日本が15.3%で最も低いというデータを背景に、女性研究者の比率を20%にまで引き上げることを重要な指標の一つとして掲げてきました。この目標は名大においては既に到達しましたが、掲げた当時は途方もない数字に思えるほど、名大はもとより国内の大学に女性研究者は少なかったのです。
私たちがまず進めたのは男女共同参画推進のための外部資金獲得で、文部科学省の「女性研究者研究活動支援事業」には途切れなく過去7回に亘って採択されています。2013年度の文部科学省リーディング大学院においても「ウェルビーイングinアジア」実現のための女性リーダー育成プログラムが採択され、グローバル企業や国際機関、政策決定機関で活躍できる女性リーダーの育成に着手しました。女性教員増員策としては、女性研究者トップリーダー顕彰や女性研究者リーダーシッププログラム、女性PI(研究室主催者)枠の設定によるキャリア支援を開始しています。
また、名大の学内に保育園と小学生を受け入れる学童保育所を開設し、女性研究者の仕事と育児の両立支援を始めました。保育園計画を提案した直後は反対も多く、子供に事故が起きたら誰が責任を負うのだといった意見には、普段から子どもを大切にし誠実に運営すれば訴訟に至るようなことにならないとするデータで対抗。反対者一人ひとりに十分な資料を準備して説得を重ねたのです。そして、これらの施設ができたことにより女性のキャリアの継続が容易になり、女性の離職者が減少するとともに女性研究者の応募が増加。夫婦で子育てを行う男性研究者の利用も多く、想定以上の効果を生みました。
それに加え、教職員のワークライフバランスを促進すべく、平日の就業時間以外の会議開催の原則禁止、育児休業を取得しやすい環境整備と制度及び支援体制の周知徹底、授業担当や委員会業務等の軽減または免除を進めています。他にも女性教員支援体制を強化する目的によるメンター制度の導入、介護支援、LGBT等の性的個性を尊重した教育・研究・就業環境の整備、ジェンダー専門図書館の開設、女子中高生理系進学推進セミナー、理系女子学生コミュニティ「あかりんご隊」による出張理科実験、女子学生エンカレッジ交流会、若手女性研究者サイエンスフォーラム等、次々と女性研究者の道を拓く施策を進めてきました。
束村先生が考える「博士人材の価値」とはどのようなものですか。
博士課程後期の学生や博士の学位を取得した人は、オリジナリティーの高い研究テーマを設定し、その成果を追求しているはずです。言い換えれば、一人ひとりが社会に多様性をもたらせる存在であり、その功績がイノベーションを引き起こす可能性は極めて高いと考えられます。アカデミアや産業界において女性の活躍を推進し、性別によらず博士人材が様々な場面で活躍できる機会を今まで以上に増やしていくことが、日本の伸びしろであることは間違いありません。産業界に対しては、女性の役員や管理職の比率を上げることに加えて、博士人材を研究のみならず組織の意思決定に関わる重要なポジションに登用してほしいと考えています。
束村先生ご自身はどのような学生時代をお過ごしでしたか。
私は名大の農学部に入学し、その後博士課程に進学し農学博士の学位を取得しましたが、実は名大に入学したのは23歳時。中学から高校、その後に進学した大学も一貫して金城学院でした。名大に入る前に金城学院大学 家政学部 家政学科を出ているのです。名大を受けようと思ったのは、金城学院大学の卒業を目前にした時に、自分が真面目に勉強してこなかったことを反省するとともに、4月から自分は何者でもなくなるという不安を抱いたからでした。
そこで父親に、もう一度チャンスがあれば、今度こそ大学で真面目に勉強したいと話したところ、名大以上の国立大学に合格したならば入学しても良いと言われたのです。そこから10ヶ月、国⽴⼤医学部を目指して受験勉強に取り組んでいた弟と一緒に予備校に通い、必死になって5教科7科目に挑みました。それまで英語の辞書も持ってなかった私に、弟が辞書を選んでくれました。最初に引いた単語は『From』。今でも覚えています。辞書を引く度に単語に下線を付けていたら、最後には全てのページに下線が溢れていました。こうして寝食を惜しまず受験勉強に集中した結果、私は名大農学部に無事に合格。弟も某国立大学の医学部に入ることができました。
期待して入学した名大でしたが、期待が大きかっただけに、教養科目の授業には今ひとつ興味を持てずに過ごしていました。ところが、4年生になって家畜繁殖学研究室に入室し、研究の楽しさに目覚め夢中になりました。卒論研究ではネズミを使いました。子どもに乳を与えている母ラットでは次の妊娠を避けるために繁殖が抑制されるのですが、そのメカニズムを探るというのがテーマでした。その時に、解らないことを自分の手で明らかにする研究の面白さと、いろいろな事象をもたらすメカニズムはまだまだ解ってない事ばかりなんだと知り、それらを明らかにすることに心躍りました。研究の醍醐味を知った私は、その後に博士課程に進み、研究成果が早めに出たので、博士課程の3年次の10月に米国のカンザス大学の医学部に留学しました。名大での博士課程を無事に終えて、農学博士の学位を取得後もカンザス大でポスドクを続けました。そして1年間の研究を終えて名大に戻り、助手から教員のキャリアをスタートさせました。
博士・ポスドクへの応援メッセージをお願いします。
アカデミアに限らず、産業界、特に時代の趨勢や社会ニーズの変化に対して敏感で、高い将来ビジョンを持つ企業は、多様な人材を採用してイノベーションを引き起こそうとしています。博士人材はそうした企業を、自らの研究者としてのポテンシャルを発揮できる場所として捉え、どんどん飛び込んでいってほしいと思います。
自分のキャリアを肯定的に捉え、それを伸ばしていくには、自分自身の良い点を褒めてみてはいかがでしょうか。友人に尋ねてみても、自分の良さを知ることができるかもしれません。そうして自分の長所を伸ばし、研究を楽しみながら打ち込んで下さい。そうすることで、その先ではきっと、どんなに高いハードルでも越えられるでしょう。