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博士の先達に聞く

博士人材のキャリアの選択肢はますます広がると語る、研究をスタートアップに導いた名古屋大学 中野教授。

Interview

中野先生が主催なさっている研究室の取り組みをご紹介下さい。


野依(のより)記念物質科学研究館は、野依良治博士が2001年にノーベル化学賞を受賞されたことを記念して、野依記念学術交流館とともに平成15年度末に竣工。農学部の前に位置します。

私の研究室では、抗体や酵素、あるいはそれらを利用した機能性脂質等、新規の生物機能分子を創製していくための生物反応プロセスや、バイオインフォマティクスを利用した解析システムを構築することを目的とした生物工学的研究を行なっています。近年は、主に無細胞タンパク質合成系の大幅な効率化と利用技術の開発により、画期的な抗体の生産技術で成果を挙げてきました。抗体とは生体内のB細胞から生成されるタンパク質で、生体内に侵入した異物である抗原と結合して排除する役割を持っています。抗原には様々な種類がありますが、一つの抗原に合致する抗体を生成することで、その抗体は治療薬となったり診断薬やバイオセンサーになったりします。
ところが、従来の生細胞を用いるタンパク質発現システムでこの抗体を大量に生成するには、かなりの時間と労力が必要でした。それに伴いコストも跳ね上がります。そこで、私の研究室では「Ecobody法」と称した、生体外で抗体を生成する無細胞タンパク質合成系を開発。短時間で効率的に抗体となるタンパク質を合成出来るようにしました。

中野研究室からiBodyを誕生させた経緯を教えて下さい。


iBody株式会社のHPより。
基盤技術である「Ecobody」。2日間で抗体を探索出来る画期的な技術としてVC(ベンチャーキャピタル)からの投資を受けました。

Ecobody技術を用いて抗体の探索を受託するビジネスの構想は、私の中では2000年頃から描いていました。しかし、実用化レベルまであと少し届かない日が続きました。そんな時に、私の研究室出身で修士の学位を取り企業の研究職として就職していた加藤晃代(かとう てるよ)さんが、結婚を機に名古屋に帰ることになり、私の研究室にポスドクとして戻ってきたのです。加藤さんは企業の在籍時に論文博士で博士号の学位を取得していました。加藤さんの協力を得たことによりEcobody技術は大きく前進しました。

私はEcobody技術が実用化レベルに到達したことを確認し、いち早く世の中のために役に立たせたいと考え、スタートアップの立ち上げに着手しました。私は名古屋大学の大学院で研究室を主宰する教授としての立場から、CEOは加藤さんに委ねることにしました。実際に加藤さんの功績は大きかったですし、Ecobody技術についての理解は研究室内でもトップクラスであったことから、適任と判断したのです。
それでもスタートアップに不可欠な資金調達は、総責任者でもある私が担い、VC(ベンチャーキャピタル)に技術内容や事業化計画についての説明や投資依頼に奔走しました。また、当時は新会社を立ち上げるという起業ノウハウ自体がまったくありません。ファイナンスや組織づくりを一つ一つ学びながら会社組織の立ち上げに悪戦苦闘する連続でしたので、こうした起業ノウハウの獲得は、技術を確立する前段階から準備しておけば良かったと、今になって思います。ただ、ノウハウを得た今は、次にまた新しい技術で新会社を立ち上げることになっても、もっとスムーズに計画を運ぶことが出来ると思います。
この時の反省から、名古屋大学では起業を考えている研究者に向けて、起業ノウハウを学ぶ授業を始めました。講師には、起業した会社を上場させ、現在はVCの立場からアントレプレナーを支援しているA Tech Ventures株式会社の代表取締役である竹居邦彦(たけい くにひこ)さんにお願いしています。会社のつくり方からチームマネジメント、資金調達やファイナンスに至るまで、スタートアップを成功させるために必要なノウハウをご指導頂いています。

設立から6年を経た現在のiBodyに、私は技術顧問として残っていますが、経営自体は私の手を離れ自走出来るまでに発展しました。オフィスも最近までは名古屋大学内に置いていましたが、名古屋市千種(ちくさ)区にある中小機構運営の名古屋医工連携インキュベータに移転しています。加藤さんは研究に軸足を戻したいと希望されてCEOを後任に委譲し、現在は私の研究室で助教を務めています。このように加藤さんが改めて研究者としてのキャリアを自在に選ぶことが出来たのも、博士人材だからこそと言えるでしょう。

iBody関連以外に、中野研究室からどのような博士人材を輩出されていますか。


「中野研究室は、大学の自由な校風を元に更に自主性を重んじ、自由にチャレンジ出来る風土があります。それゆえに、産業界で活躍する多くの博士人材を輩出出来ていると感じています。」

私の研究室は、メンバーの自主性を尊重し、自由にチャレンジ出来る風土が息づいています。私自身、学部から入学して最終的に博士の学位を取得した東京大学時代から自発的に研究に取り組んできたこともあり、各自の研究の方向性や進め方を決めつけるような指導を行わないようにしています。そうした風土の中から、これまでの研究テーマをさらに昇華させ、私の想像を超えるキャリアを展開する博士人材が数多く巣立ちました。

例えば、当研究所で博士の学位を取得し、トヨタグループで自動車関連技術の研究開発を担う豊田中央研究所に就職した池内暁紀(いけうち あきのり)さんは、一見して自動車技術とは関係のない常在菌の研究を行い、トヨタイムズニュースでも大きくピックアップされました。無菌状態よりも、多様な微生物がいる自然の空気を身体に取り込むことで、人と微生物の好ましい共生関係を実現しているのではないかと推測し、人の健康を増進する空間を創造するための研究を続けています。

インドから微生物学を専攻する国費留学生として来日し、大阪大学工学部を経て名古屋大学の当研究所で博士課程を修了したジュネジャ・レカ・ラジュさんは食品用の乳化剤や安定剤、鶏卵加工品等の食品素材を製造・販売する太陽化学株式会社に就職し、代表取締役副社長にまで昇進しました。その後に彼は市販用目薬最大手のロート製薬株式会社に移り、取締役副社長兼最高健康責任者(CHO)に就任。更に、現在は米菓メーカー最大手・東証プライム上場の亀田製菓株式会社の代表取締役会長CEOに就任する等、研究者の立場で培った視座を活かして企業経営者の王道とも言えるキャリアを歩んでいます。

中野先生が考える「博士人材の価値」とはどのようなものですか。

iBody初代CEOを経て名古屋大学の助教に就任した加藤さんや、豊田中央研究所で誰も足を踏み入れなかった未知の領域を開拓している池内さん、亀田製菓CEOに就任したジュネジャさん等、キャリアを自在にデザインして各界で活躍している博士人材に共通しているのは、ロジカルに予測する訓練を十分に行なっているということです。研究中のテーマをどのように発展させ、どこに着地させるのか、そうしたビジョンをロジカルに描ける能力が鍛えられているからこそ、新たなチャレンジを成功に導く可能性が高くなるとも言い換えられます。そして、このような資質は、自ら研究テーマを設定し、それを追究する博士課程でこそ磨けるのです。教員や先輩の指示に従う場面の多い修士課程では、こうした経験は不十分だと考えられます。

また、海外の論文を読み込む時間や海外の学会に参加する機会を持つ博士人材の多くは英語に長けています。培われた英語力はアカデミアでも産業界でも今後ますます必須スキルになっていくでしょう。研究のみならず、海外との折衝やプレゼンテーションの場面等に必要となる英語力を持ち合わせていなければ、目の前に様々なキャリアの選択肢を呼び込めないはずです。欧米では特に博士を取得した人と、修士や学部卒の人の間ではキャリアの評価が大きく異なり、博士は分野に限らず知識人扱いを受けます。

そんな博士人材の価値を、最近の産業界は認め始めています。大手製薬企業の多くでは、研究部門で管理職に昇進するには博士の学位が不可欠になりつつあります。ある会社では、有望な人材を昇格させるために、その企業内で重要度の高い研究テーマで論文博士を取得するように時間を与えているそうです。ただ、企業に入社してから博士の学位を取得するのは大変ですし、入社した企業で論文博士への機会を与えられるかどうかは分かりません。上司に恵まれる等の運次第の面もあります。それならば、大学院で博士の学位を取得してから産業界に進出した方が将来の機会創出を失うリスクは少なく、自分で決定権を持つ人生を歩めるのではないでしょうか。

中野先生ご自身はどのような学生時代を過ごしたのですか。

福岡県出身の私は東京大学の工学部化学工学科に入学し、同大学で修士課程を修了後、博士課程後期に進み、博士となりました。学部ではバイオ系の研究室を志望しましたが、応募者数が枠を超えて抽選になりました。そして残念ながら通らなかったことから粉体工学の研究室に所属することに。しかしそこで得た知識は、やがて大きく役立ちました。念願だったバイオ系の研究室に移籍したのは修士課程からです。実は修士の時に某大手化学企業から入社の内定をもらっていたのですが、指導教授に就職するよりも今の研究を続けた方が良いのではないかという意見を頂き、博士課程後期に進みました。その後に東京大学から名古屋大学に移って助手となり、現在まで続くアカデミアでのキャリアを歩み始めたのです。

博士課程後期では正規の研究とは別に、大学間の博士課程の研究交流として「若手の会」の運営にも携わりました。関東支部長を務め、夏に霧ヶ峰(長野県)で勉強会を開催する等、多くの若手研究者の交流を促進しました。私自身も、専門領域の異なる研究者との交流にかなり刺激を受けました。こうした若手時代から大学を超えて研究者間で刺激し合えるのも、博士人材の特権かもしれません。他分野の研究者と関わる機会は、自分の研究内容をロジカルに説明する訓練になります。それは研究内容の一般化や本質を究める手立てとなります。また、イノベーションは境界領域において起こり得るものです。若いうちから積極的に他流試合を数多く重ねたことが、現在の研究成果を導いた要因の一つになったのは間違いありません。

博士・ポスドクへの応援メッセージをお願いします。


「博士人材は分野が違っても、全く異なるポジションにジャンプアップして活躍することが出来ます。産業界へ就職すること以外に、起業することも今や珍しくなく、時流に応じてチャレンジすべきだと考えています。」

日本は技術立国です。海外に進出する際には博士であることの説得力がますます必要になってきます。これからの社会において人の上に立つ存在になるには、博士の学位が必須になるとさえ言えます。皆さんは、博士の学位の意味や意義の大きさ、そして高い価値を、今後ますます意識することでしょう。アカデミア、企業への就職、そしてスタートアップ……どの道を選んでも同じです。それに、最初に選んだ道から全く異なるポジションにジャンプアップすることも、博士人材なら可能です。時代の要請や自身のスキルを精査し、その時々に応じて最も活躍出来るキャリアにチャレンジすれば良いと思います。
博士人材を取り巻く就業環境は大きく変貌を遂げています。産業界が博士人材の登用を拡大する一方で、博士課程からダイレクトに起業するケースも珍しくなくなってきました。ポスドクのキャリアを重ね、将来の選択に迷われている方は、研究開発が事業をドライブするベンチャー企業で研究成果を追求する道に挑んでみては如何でしょうか。また、以上のような多様なキャリアで一定の成果を挙げた後に、アカデミアに戻って自ら設定したテーマを追求するようなケースもどんどん増えてくるでしょう。博士人材が拓けるキャリアの幅は皆さんのご想像以上に広範なのです。博士人材は未来に向かって最良の立ち位置を選択するチャレンジをしてこそ、その本来の価値が引き出されます。一人でも多く、研究者人生を賭けたチャレンジャーの登場に期待しています。

本日はお忙しい中、長時間に亘りご協力頂き、ありがとうございました。

※この記事の所属・役職・学年等は取材当時のものです。