博士の先達に聞く
ビークルロボット研究の最先端を歩む野口研究室、 農業の諸問題を解決に導くコア人材を多数輩出。
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北海道大学は、大学院に重点を置く基幹総合大学であり、その起源は、日本最初の近代的大学として1876年に設立された札幌農学校に遡ります。同年7月に、マサチューセッツ農科大学長W. S.クラークが札幌農学校教頭として札幌に到着し、翌月に開校式が挙行されて現在につながる歴史がスタートしました。そんな同校の教育研究に関わる基本理念は、「フロンティア精神」、「国際性の涵養(かんよう)」、「全人教育」及び「実学の重視」です。そして、今回紹介する大学院農学研究院長の野口先生が行っている農業の自動化を進めるビークルロボットの研究は、特に「フロンティア精神」と「実学の重視」を体現しています。TVドラマ「下町ロケット」に登場する先端技術研究者のモデルにもなった野口先生の研究室は何を開拓しようとし、そこからどういったイノベーションや社会への貢献が生まれ、そしてどのような人材を輩出しているのか、詳しくお伺いしました。
※ビークルロボット:ロボットトラクタ、田植ロボット、ロボットコンバインなど、車両系ロボット農機の総称
(掲載開始日:2023年12月12日)
野口先生の研究内容をご紹介下さい。
私の研究室では、未来のスマート農業を実現するためにトラクタ、田植機、コンバインなどの農機をロボット化する研究をしています。具体的には、画像認識の処理に基づいて機器を動作させるマシンビジョンや測位衛星による位置制御、それに先端ICTや機械制御技術などを利用して、農作業の無人化や農機の自動走行・自動作業を目指しています。
近年は日本版GPSである準天頂衛星「みちびき」4機による高精度測位情報を用いることで、センチメートル級の自動走行制御が可能になるなど、以前にも増して自動運転の精度は大幅に向上しています。また、複数のロボットによる協調作業システムの開発も進むなど、広大な耕作地を対象とした大規模な農作業の自動化も実用の域に入ってきました。
そうした数々の成果を経た現在、研究における注力ポイントは、AIを駆使した農業ロボットのさらなるスマート化です。例え同じ農作物を作るにしても、場所が違えば土壌や気象は大きく異なり、その度にロボットを使用条件に合わせて現地でセッティングしていくのでは、結果的に大幅な省力化は望めません。そこでロボットが自ら耕作地で作業条件を自動学習して土地や作物に適合していく技術を確立しようとしています。さらに、それを効率的に行うためにデジタルツインの手法を用いようとしています。フィジカル(現地ロボット)から収集したデータを元にサイバー側である高性能サーバーにおいてロボットを含むフィジカル空間の精緻な写像(モデル)を作り、サイバー空間の中でモデルを用いて最適な作業法を生成します。そのデータを無線ネットワークを介してフィジカルに送り返すことで的確に動作を制御するのです。これによって任意のシミュレーションが可能になり、農作業プログラムのセッティングも遠隔で行えます。また、汎用型のロボットに様々な作業をさせられるようになりロボットの製造コストを大きく下げることにつながります。
また、農地の耕起や田植え、収穫といった基本的な農作業を行うロボットのみならず、特殊なセンサーを使用して、作物の病害や虫害など人間の気づかない微細な変化を見逃さずに農薬をピンポイントで撒く環境保全型ロボットの開発にも挑んでいます。
野口先生の研究成果の社会的インパクトはどのようなものですか。
スマート農業が十分な実用化に至るには、農地と農地を結ぶ公道での自動走行を可能にするための法整備や、高い収益性につながるロボット導入コストの削減など、まだまだ取り組むべき課題は数多く残されています。ただ、その課題を急がねばならない背景が差し迫っています。それは、日本の農家の高齢化が急速に進んでいることであり、それに伴う農業従事者の不足です。このままでは日本の農業は大きく衰退し、食糧の自給率は下がる一方となってしまいます。現在の自給率はカロリーベースで38%。つまり62%は輸入に頼っている状況なのですが、これがさらに進むことになります。
一方で、世界的な人口の増加や気候変動の影響により地球規模で食糧の争奪戦が始まりかねないような状況ですから、食糧の安全保障問題にも大きく関わってきます。日本は農業の労働力不足に歯止めをかけ、食糧のグローバルな流通に頼らずに、自給率を上げる必要に追い込まれているのは間違いありません。そしてそれをブレイクスルーさせるテクノロジーとして期待されているのが、省力化を大きく進めるとともに生産性の大幅な向上も見込めるスマート農業です。
野口研究室がどのような人材を輩出しているのか教えて下さい。
私の研究室の取り組みは、大学内に閉じたものではありません。ロボットの造り手となる大手農機メーカーや、センサーなど先端要素技術を持った大手電機・デバイスメーカー、大手通信事業者、内閣府など、産業界や行政と密に連携して共同研究を進めています。北海道大学には実学を重視するという理念が息づいており、外の世界と結びついて社会に貢献していく研究を進めようとする気風に満ちています。野口研究室は、それを体現していると自負しています。
ですから私の研究室に所属する大学院生や3年生以降の学部生は、企業の研究者やエンジニアと触れる機会が多く、日常で深いコミュニケーションを図っています。ディスカッションを重ね、そこで自らの意見を述べ、産業界の技術を学びながら、共同研究を前に進めているのです。既に重大な社会課題に対する極めて有効な解決策と目され、実学そのものと言える段階に入ったスマート農業の研究および開発を行っている学生たちは、産業界が求める価値の高いスキルを獲得しています。
所属する40名の学生のうち、博士課程は約10名。私の研究室で十分に研鑽を積んで博士の学位を取れば、スマート農業を推進する企業はもちろん、IoTによるDXに挑む企業などからも引く手数多(あまた)の状況です。もちろんアカデミアに残って研究職に向かうキャリアパスも選択できます。自分の希望や適性を見て最適だと思う未来を歩めると言えるでしょう。
野口先生のこれまでの経歴をご紹介下さい。
私がかつて北海道大学大学院農学研究科の博士課程で行っていた研究は、アルコールを燃料とするディーゼル機関の燃焼解析に関するものでした。石油を原料とする軽油に変わる代替燃料を開発し、トラクターに搭載されるディーゼルエンジンを動かそうとしたのです。当時は既に石油エネルギーの危機は遠ざかりつつありましたが、私はこの研究で自動制御を軸としたエンジニアリング技術を深め、農機の自動化による人手不足の解消へとテーマを現在の対象へとスイッチしました。
農業ロボットに着手したきっかけは、1992年に農作業ロボットの研究を進めていた生研機構基礎技術研究部(現農研機構農業技術革新工学研究センター)に交流研究員として所属したことです。その後、1997年に北海道大学大学院農学研究科助教授に就任するとともに米国イリノイ大学農業工学科に留学し、GPSベースのロボットトラクタ開発に参画。1998年の帰国と同時にイリノイ大学と北海道大学の共同研究を開始し、私自身もイリノイ大学客員准教授を併任しています。以降も数々の農業ロボット研究プロジェクトを推進し、2012年には英国のRoyal Academy of EngineeringからDistinguished Visiting Fellowship Awardを受賞しています。振り返ってみると、農業における重要問題を工学的な先進技術で何とか解決しようという意志で、次世代を見据えた研究に挑んできたように思います。
博士・ポスドクのキャリア形成についての提言をお願いします。
博士号を取得した多くの研究者が、短期間の期限付き雇用契約を結ぶポスドクのキャリアを選び、「将来の安定したキャリアイメージが描けない」「経済的に満足できる状況になれず人生設計ができない」といった状況に陥ることが問題視されていますが、私はこの問題の解決については産業界がドクターの高い能力を活かせるパスを今以上にふんだんに用意してくれることに期待しています。私の研究室のような実学に即したテーマを学んだ学生は即戦力として扱ってもらいやすいのですが、実学とは対極の位置にあり真理を追求しようとする何かしらのベーシックサイエンスを専攻したドクターであっても、その能力を活かせる場面はたくさんあると考えられるからです。博士号を取得した研究者であれば、その構想力やテーマの扱い方と解き方に関する能力はもちろんのこと、時に科研費を獲得するために磨いた交渉力なども、企業にとって必ずプラスになります。これは基礎研究所を持つような企業に限りません。製品やサービスのR&Dを間断なく行なっている企業であれば、ドクターの能力を活かせるテーマは社内に一つや二つではないはずです。
また、海外の企業経営者には博士号を取得したドクターが数多くいます。日本の企業も研究開発部門のみならず、事業経営の場面でも多くのドクターが活躍する状況がやってくることを期待しています。
企業側だけではなく大学側も、変わらなければならないと考えます。これまで収益に敏感な民間企業は目先の成果を重視する姿勢があり、大学側にはニーズの高い分野に特化した人材の輩出が期待されてきました。しかし一方で、特定の領域に限定されない視野の広い研究者も育み、企業のニッチな研究ニーズに高い汎用スキルで応えるなど、多様なマッチングで応えていかなければならないのかもしれません。
何よりも日本のドクター人材が、その能力に相応しいステージを得られなければ、日本の科学技術及び企業活動は低調になってしまいます。産学が真剣に取り組むのは当然ながら、官もそこに大きな役割を果たすべきだと考えています。
博士・ポスドクへの応援メッセージをお願いします。
実は私は修士課程の途中までは、いずれ民間企業で働こうと考えていました。当時、マスターは就職するのが一般的で、博士課程に進む先輩が少ないこともありましたが、私にとっては博士号取得後の明確なキャリアパスが見えなかったのも大きかったですね。それでも、自ら考えて、成果を得るまで悩み抜きながら問題の解決に至る大学の研究職が自分に向いていると思い直し、博士課程に進みました。
時代は移り、現在は博士課程に進む学生も増えてきました。その後ドクターとなってアカデミアに残る学生も企業に就職する学生もいますが、自分自身で進路を選択しやすい世の中になってきたのだと思います。近年はいきなりスタートアップにチャレンジする学生も珍しくありません。実際にスマート農業の分野ではスタートアップに挑む起業家が続々と出てきています。皆さんも、自らの適性や将来の研究に想いを巡らせ、納得のできる最適な進路を選んでほしい、そう考えています。